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個性派プロ野球選手 パンチ佐藤

 1990年代、その個性的なキャラクターで人気を集めた選手がいた。その名前は佐藤和弘。通算成績は5年間の現役生活で149試合、打率.274、3本塁打、26打点と目立った結果は残していない。しかし、パンチパーマの髪型で「パンチ佐藤」と呼ばれ、面白い話術は今でも多くの野球ファンの記憶に残っている。まさに「記録よりも記憶に残る男」だった。

 神奈川・武相高から亜細亜大に進んだ佐藤は、社会人野球の名門・熊谷組に入社する。佐藤は都市対抗でサイクル安打を放つなど強打の外野手として頭角を現し、ドラフト候補にまで成長していく。そして89年のドラフト会議。この年の最大の注目は前年のソウル五輪でも活躍した新日鉄堺・野茂英雄がどこに指名されるかだった。野茂には1位指名で8球団が競合。くじ引きの結果、近鉄が・仰木彬監督が引き当て交渉権を獲得した。

 この時、野茂を外したオリックスは外れ1位で佐藤を指名する。合宿所で1位指名を受けた佐藤は急にそわそわし始める。そんな時に当時の上田利治監督から電話が入った。受話器を持った佐藤は感謝の言葉を言った後、「自分の気持ちは一つです!」と力強くアピール。この光景は後に某企業のCMで使われ再び話題となった。

 この年の各球団の1位指名は佐々木主浩、潮崎哲也、小宮山悟、佐々岡真司。2位以降でも古田敦也、前田智徳、新庄剛志と後の名選手が多数指名された「豊作ドラフト」だった。

 佐藤はプロ1年目の90年、42試合に出場。少ない出場機会ながら打率.331をマークする。しかし、それ以上にファンが注目したのはそのユニークな言動だった。特に当時活躍していた女子マラソン選手、ロサ・モタを例えた表現は笑いを誘った。

 リポーターが「今の気持ちをマラソンに例えると…」と話を振ると「ロサ・モタがスタートラインに立って手首、足首を回している」「スタートでコケてしまって、もうロサ・モタの姿が見えない」と事あるごとにロサ・モタの例えでコメントしている。

 さらに、ヒーローインタビューでは「オリックスブルーウェーブ、ならびにこの佐藤和弘のために、今日は12万5000人のファンの皆様…」と一風変わった受け応えで「パンチ佐藤」は一気にプロ野球界の人気者となった。

 しかし翌91年、オリックスの監督が上田から土井正三に代わると、次第に出場機会が減少。93年にはわずか3試合の出場に終わる。それが94年に監督が仰木彬に代わり、佐藤は再び息を吹き返す。佐藤のその明るいキャラクターに目をつけた仰木監督のアイディアで登録名を「パンチ」に変更。

 この時、佐藤とともに登録名を変更した若手外野手が、後に日米で大活躍するイチローだった。ところが、佐藤はなかなか結果を出すことができずシーズン最終盤、仰木監督は佐藤を呼び「芸能界でやっていった方が今よりも稼げるんじゃないか」と事実上の引退勧告を行う。これに応じた佐藤は現役最終打席、本拠地・グリーンスタジアム神戸で三塁打を放つ。三塁に到達すると、佐藤は力強くガッツポーズをした。

 引退後、佐藤は「パンチ佐藤」の芸名でタレントとして活動。今もそのキャラクターは健在だ。仰木監督の先見の明は間違いなかったと言える。
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