ニュース 2016.08.23. 11:45

高校球史に残る伝説のチーム あれから18年…横浜高“真の松坂世代”の今

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98年の甲子園閉会式後、ナインから胴上げされる横浜・松坂(C)KYODO NEWS IMAGES

“伝説の夏”から18年...


 今年も高校球児たちの熱き戦いが幕を閉じた。

 8月7日に開幕した「第98回 全国高校野球選手権」は8月21日に決勝戦を迎え、栃木代表の作新学院が南北海道代表の北海に勝利。54年ぶり2度目の全国制覇を成し遂げた。


 大会がはじまると試合の合間などにテレビで流れるのが、これまでの歴史や名場面・名勝負を集めたもの。中でも今年よく見かけたのが、「1998年」の激闘だ。

 1998年と言えば、“平成の怪物”こと松坂大輔を擁した横浜高が春夏連覇を成し遂げた年。2回戦での杉内俊哉(鹿児島実/現巨人)との投げ合いや、準々決勝でのPL学園との延長17回に及ぶ死闘、さらに決勝戦でのノーヒットノーランなど...いくら語っても語り尽くせないほどのドラマが生まれた。

 例年以上にこの年がフィーチャーされた理由としては、今年の高校3年生にあたる選手たちの多くが“1998年生まれ”であるということが大きい。高校野球の歴史に残る“伝説の1年”に産まれた球児たちの戦い――。今年の大会にはそんな“裏テーマ”も存在していたのだった。


“真の松坂世代”の今


 あの夏から18年……。今の球児たちは、あの“伝説の夏”を見ていないという衝撃。あの時の横浜高は本当に強かった。

 春夏連覇だけでなく、センバツ前の神宮大会から甲子園後の国体まで、高校野球“四冠”を達成。しかも神宮大会前の新チーム発足から「44戦無敗」という大記録も樹立している。

 大エース・松坂大輔に注目が集まっていたが、後に松坂のほかにも3人の選手がプロの扉を叩くことになるなど、投打に役者の揃った穴のないチーム。まさに最強のチームであった。

 ここではそんな“最強・横浜”の主力として活躍し、プロ入りをした3人の選手に注目。「松坂世代」と呼ばれた選手たちは多くいるが、中でも“真の松坂世代”といえる横浜高出身の3人の今を見ていきたい。


横高の切り込み隊長


 まずは、松坂大輔と同じ高卒でプロ入りを果たした選手。当時は主にトップバッターを務めていた小池正晃である。

 松坂が3球団競合の1位指名を受けた1998年のドラフト会議で、小池は地元・横浜(現DeNA)から6位指名を受けた。

 一軍デビューは3年目の2001年。翌2002年には代打中心ながら60試合に出場を果たすも、その後は二軍暮らしが続く。転機が訪れたのは7年目の2005年シーズン。牛島和彦新監督の信頼を掴み、自己最多の129試合に出場。リーグトップの37犠打を記録した一方、20本塁打を放つなど長打力を見せつけ、ブレイクを果たす。

 しかし、その後は度重なるケガにも苦しみ、徐々に出場機会が減少。2008年シーズンの途中にはトレードで中日へと移籍した。

 落合博満監督の下では守備力を買われて出場機会を得るも、打撃不振に苦しみレギュラー奪取とは行かず。2011年のオフにはFA権を行使してDeNAとして生まれ変わった古巣へ戻ることになる。

 復帰2年目の2013年、プロ15年目での現役引退を決意。引退試合となった10月7日の阪神戦では打席中に涙を流しながらも1試合2本塁打を放ち、ファンへの別れを告げた。

 引退後はチームの打撃コーチに就任し、後進の育成に尽力している。


主砲は18年経って“ゴメス”に...!?


 松坂や小池から遅れること4年。大学を経てプロ入りしたのが後藤武敏である。

 98年の夏は主に3番打者を務め、高校通算33本塁打を記録。法政大から自由枠で松坂のいる西武に入団した。

 後藤は1年目から開幕戦で4番を任されるなど、101試合の出場で11本塁打とまずまずのデビューを飾る。ところが、2年目以降はケガとの戦いや熾烈なポジション争いにも苦しみ、3ケタ出場はなし。2011年シーズン終了後にトレードでDeNAに移籍した。

 移籍後もやはりケガとの戦いとなるも、代打や代役4番などで出場機会は増加。“ゴメス”の愛称で親しまれ、2015年は「後藤武敏G.」、2016年は「後藤G武敏」とここ2年続けて登録名を変更。背ネームも「GOMEZ」に変わっている。


裏で世界一を支えた松坂の女房役


 最後に、98年の横高メンバーの中で最も遅いプロ入りとなった選手。松坂の女房役であり主将も務めた小山良男だ。

 高校卒業後は亜細亜大、JR東日本を経てのプロ入り。高卒組から遅れること6年、2004年のドラフト8位で中日に入団した。

 即戦力として期待された小山は1年目からデビューを果たし、5試合の出場でプロ初安打と初打点も記録。順調なスタートを切ったかに思えたが、谷繁元信という大きな壁を越えることができず、二軍でも正捕手定着とはならず。結局このルーキーイヤーがキャリアハイとなってしまった。

 しかし、引退後はブルペン捕手に転身すると、2009年に行われた第2回ワールド・ベースボール・クラシックで侍ジャパンに帯同。連覇を果たした後、メンバーから胴上げを受けるなど、裏方としてチームの優勝に貢献した。

 現在は中日の二軍バッテリーコーチを務め、正捕手育成に尽力している。


これからも戦いはつづく...


 2015年には、世代筆頭の松坂大輔がメジャーから復帰。選手であったりコーチであったりと、それぞれ立場は違っているものの、18年前に18歳だった選手たちはNPBという同じ場所に集まった。

 四者四様、全く別の道のりを歩んで来た“真の松坂世代”の4人。毎年、夏が来ると思い出される“伝説”を作った彼らの“これから”にも注目していきたい。
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