ニュース 2016.10.16. 08:00

かつてのドラ1右腕に聞くドラフト会議 『ドラフト当日ってどう過ごしてるの?』

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増渕を引き当てたのは当時ヤクルトの指揮官だった古田敦也氏でした(C)KYODO NEWS IMAGES

ドラフト会議は20日!


 いよいよ10月20日に開催されるプロ野球・ドラフト会議。選手と球団のその後を左右する“運命の一日”がいよいよ近づいてきた。

 今年は高校生投手を中心に“豊作”と言われ、直前になっても各球団の1位がなかなか見えてこないという珍しい年。果たしてどんなドラマが生まれるのか...。今から楽しみだ。

 今回はドラフト会議をたのしむ上で知っておきたい“指名を待つ側”の気持ちを探るべく、2006年の高校生ドラフト1位でヤクルトに入団した増渕竜義氏に話を聞いた。


『ドラフト当日ってどう過ごしてる?』


 ドラフト会議の当日ですか。何も変わらない、普段と同じ行動でしたね。

 朝起きて、朝ご飯を食べて登校。1時間目から授業を受けますし、本当に普段とまったく同じです。

 ただ、昼休みが過ぎたころですかね。ちょっと周囲が騒がしくなるというか、主に野球部員たちがざわつき始めるんですよ。「本当に指名されるのか...」とか、「テレビの人たちが来たぞ...」とかですね(笑)

 確かに外を見ると、テレビ関係の車であったり、スーツを着た報道関係の方が多く学校に来ているんですよね。なにか学校自体がそわそわしてきたというか、そんな感じでした。学校の廊下に、「記者会見室はこちら」みたいな案内の紙も張り出されていたりして。

 でも、午後の授業も普通にありましたし、僕自身は結構落ち着いていたと思います。


直前になってようやく...


 ただ、ドラフト会議の時間が近づいてきた時ですかね。さすがにちょっと様子が変わってきます。

 時間になったら呼び出されて、監督さんとドラフト会議の様子をテレビで見守っていました。「指名されたら記者会見がある」という事も、その時に聞かされていました。

 でも、僕はギリギリまで「本当に指名されるのか...」という不安な気持ちで一杯でしたね。甲子園にも行っていないし、この2006年のドラフトというのはスター候補生がずらりと並んでいました。

 駒大苫小牧の田中将大と、愛工大名電の堂上直倫という2人が目玉で、加えて八重山商工の大嶺祐太や、PL学園の前田健太などなど...。その中で本当に僕が指名されるのか、という思いでテレビを見つめていました。

 結果的には、ヤクルトと西武の2球団から1位指名を受けました。ホッとしたというか、本当にうれしかったですね。競合で抽選になったのですが、プロに行けるだけでもありがたかったので、本当にどちらでもよかったんです。


ヤクルトとの“縁”


 西武は伊東勤監督、ヤクルトは古田敦也監督がクジを引きました。当たりを引いたのは古田監督。その瞬間、“深い縁”を感じました。

 というのも、母親がヤクルトレディをやっていたんです。子供のころからヤクルトはよく飲んでいましたし、これも何かの縁なのかなと思いましたね。

 見届けた後、体育館へ移動すると、そこはすでに記者会見場となっていました。多くのテレビカメラと報道陣がいらっしゃって、初めてその場で実感がわいてきました。

 なので、ドラフト当日は朝からずっとバタバタしているとか、そういうことは一切ないと思います。当の本人は不安だらけで、周りもなんとなく気を遣ってくれている感じがあります。

 なんら変わらない朝から始まり、普段と変わらない日常。慌ただしくなるのは、本当に直前になってからですね。そして、今まで経験したことのない夜を迎えるといった不思議な1日。これがドラフト会議当日の流れです。


▼ 増渕竜義・プロフィール
masubuchi

株式会社King Effect代表取締役。1988年5月3日生まれ、28歳。
同期に田中将大(ヤンキース)や前田健太(ドジャース)がいる“88世代”。
埼玉の公立校・鷲宮高校で1年生からエースとして活躍。
3年時には最速147キロをマークしたが、甲子園出場経験はなし。
2006年の高校生ドラフトで西武とヤクルトから1位指名を受け、抽選の結果ヤクルトに入団。
2013年までの7年間で先発・中継ぎに活躍し、通算157試合に登板した。
2014年にはトレードで日本ハムへと移籍。2015年に現役を引退。
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