コラム 2016.02.25. 07:30

いつまでも語り継ぎたい高校野球の「名勝負」といえば…

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甲子園史上最高の試合


 1979年・夏の甲子園。3回戦で、今でも語り継がれる名勝負があった。

 箕島-星稜。当時は延長18回まで行われていたことが、この名勝負を生んだとも言われている。高校生らしい、はつらつプレーも共感を呼んだ。

 試合は白熱した投手戦。1-1のまま延長戦へ突入した。12回表、星稜が1点を勝ち越す。その裏、二死まで追い込まれ、春夏連覇がかかる箕島は絶体絶命。ところが、ここで打席の嶋田が起死回生の同点ホームラン。実はその直前、ベンチの前で当時の尾藤監督に「ホームランを狙ってもいいでしょうか」と大声で宣言していた。まさに予告ホームランだった。

 16回表、ふたたび内野安打で星稜が1点を勝ち越す。その裏、二死。奇跡は二度起きない。誰もがそう思った。

 6番・森川は初球を打ち上げ、一塁ファウルフライ。終わった、と思われた次の瞬間、星稜の一塁手・加藤が人工芝に足を取られて転倒。何でもないファウルフライで試合終了と思われたが、ただのファウルになってしまった。

 その打ち直しで、森川はレフトスタンドに同点ホームランを叩き込む。練習試合でも打ったことのなかったというホームランを、この大事な場面で打ってしまった。

 そして、3-3で迎えた18回裏、サヨナラ安打で箕島が勝利した。この試合は甲子園史上最高の試合とも称されている。

 この試合を制した箕島は、そのまま勝ち上がって優勝。春夏連覇を成し遂げた。

 敗れた星稜は、2度もあった勝利のチャンスをフイにしてしまった。それでも、高校野球ファンに「星稜」の名前を深く刻んだことは間違いない。


奇跡を起こし続けた1998年の横浜高


 1998年の夏。世間が横浜フィーバーにわいた。

 この年の準々決勝、横浜-PL学園の死闘は壮絶だった。延長17回で決着がついたわけだが、そのランニングスコアは以下のようになる。

横浜|000 220 010 010 000 12|9
PL|030 100 100 010 000 10|7

 松坂は、何と17回を完投。250球を投げきった。敗れたPL学園は、エース・上重の救援登板も実らず、試合を優位に進めながらも敗退した。

 さらにこの後、準決勝の明徳義塾戦も大逆転試合だった。松坂は疲労により投げられず、序盤から横浜は苦しい展開。だが、0-6の劣勢から終盤に追い上げ、奇跡の逆転サヨナラ勝ち。松坂は9回に救援登板。無失点に抑え、味方のサヨナラ勝ちにつなげた。

明徳|000 131 010 |6
横浜|000 000 043x|7
 
 そして、決勝の京都成章戦では松坂がノーヒットノーラン。初回から死球を出すなど不安定だった松坂だが、あれよあれよという間に打ち取り、最後までヒットを許さなかった。

 「松坂のための大会」とも言われた98年の夏。“平成の怪物”松坂が誕生した瞬間だった。

 その後のプロでの活躍は言うまでもないが、昨シーズンは日本球界に電撃復帰をしながら1試合も登板することなく1年を終えた。もう一度復活を…。あの時の松坂の“輝き”を、もう一度見ることができるだろうか。

※一部内容に誤りがございましたので、訂正を行いました。誠に申し訳ございません。
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