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魅力あふれる昭和40年代のプロ野球 【深澤弘のショウアップナイターヒストリー】

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長年にわたってショウアップナイターの実況を務めた“レジェンド”深澤弘スポーツアナウンサー [画像=ニッポン放送]

初の三冠王が誕生


 今回は昭和40年代のプロ野球について。

 昭和40年(1965年)というと、まず一番大きいのが、日本のプロ野球史上初めて“三冠王”が誕生したこと。当時南海ホークスの野村克也さん。野村さんは三冠王をはじめ、連続試合出場記録・最多出場記録など色々とあるのですが、それらは後に色んな人に破られまして、ブツブツブツ相変わらず言っておりましたけど、当時昭和40年に三冠王を取ったということは、本当にビッグニュースでした。

 この昭和40年というのは、長嶋さんが結婚し、金田さんがジャイアンツの一員になった年です。

 そして何よりも“9連覇”への第一歩。1965年からジャイアンツが前人未踏の日本シリーズを含めた9連覇を達成するわけです。


ドラフト制度の誕生


 そしてもう1つ。グラウンド上ではないんですが、“ドラフト制度”が導入されたのもこの年です。

 埼玉県の上尾高校に山崎裕之さんという名ショートがいまして、後にプロ入りしてセカンドに入り期待通りの活躍をするんですが、この高校生に5000万円という多額の契約金がついて、「これはあまりにも問題だ」、「上限を設けよう」ということで始まったのがドラフト制度でした。

 このドラフト制度の煽りをくって、確か契約金が1000万円くらいに抑えられたんですかね、その契約金でジャイアンツの堀内、阪神の藤田平、近鉄の鈴木啓示、こういった人たちが、俺たちの契約金が安い、ドラフトなんて変なものができてしまったなどとブツブツ言いながらも入ってまいりました。

 そのドラフトが延々と続き、戦力が均衡化して、V9というのはあり得ないことになりました。


V9と野球人気


 昭和40年にジャイアンツが優勝してV9時代がスタートするんですが、昭和41年(1966年)には、最初のドラフトで入った堀内恒夫がなんと16勝2敗で防御率1.39と、すごい記録を残します。

 ONは絶好調で、ミスターは5回目の首位打者、王さんは3年連続のホームラン王。一方では、そのライバルの阪神・村山実さんが24勝をするという、このあたりで野球人気がますます高まって、ラジオの聞かれ方なんかもすごかったんです。

 とにかくラジオ放送開始となると商店街では一斉にニッポン放送をつけてくれるんです。するとワーッとまるでハウリングをおこしているかのようになるんです。今のような大型ショッピングセンターはなくて、昔のいわゆる商店街ですから。両側にびっしり店があり、そのほとんどの家でニッポン放送ショウアップナイターをつけてくれる。

 ですから、野球の雰囲気をどこに行っても感じることができたんですね。


ONの時代


 ONが快調ななか、今度は昭和40年に長嶋さん、同41年には王さんが結婚します。そして昭和42年(1967年)、阪急(現オリックス)が西本幸雄さんの監督のもと初めて優勝します。西本さんというのは、リーグ優勝は何回もするんですけれど、勝負弱い方だったんです。結局、日本シリーズでは1回も勝つことができませんでした。

 巨人も、金田・堀内・高橋一三、この3投手を中心に昭和42年がジャイアンツ最強の年であると後に言われるようになりました。

 そして昭和43年(1968年)の甲子園球場。甲子園の阪神戦は殺気立ってすごいんです。そこでバッキーと、ジャイアンツの当時の王選手がデッドボールを受けて大乱闘になり、王さんのコーチで合気道の名人でもあった荒川博さんが、バッキーの右の親指を折ってしまい、バッキーはその後の野球生命を絶たれるわけです。この大乱闘事件というのは未だに歴史に残る、背筋がぞっとするような非常に恐ろしいことだったのを覚えています。

 この昭和43年に出てきた新人というのが、山本浩二、田淵幸一、東尾修。そういった新人は出てきたんですけど、昭和44年もONの時代は続きます。


暗い空気が漂った昭和44年


 しかしこの昭和44年(1969年)というのは嫌な年で、この年の10月7日、報知新聞が八百長事件を独断で素っ破抜くんです。実際にピッチャーが八百長に関わってわざわざフォアボールを出した、それからショートが八百長に関わって満塁のピンチでトンネルをした、というような事実があって何人かの選手が永久追放されました。この八百長事件で、一時は日本のプロ野球はダメになるんじゃないかと非常に暗い空気が漂ったのは事実です。

 それに輪をかけるように、400勝した金田さんが昭和44年限りで引退。牛若丸と言われた名ショートの阪神・吉田義男さんも同年に引退して、少しずつ世代が交代していきました。

 実は金田さんは400勝したけれどまだまだやるつもりでした。それが突然、川上監督に「かねやん、もう良いだろう。400勝したら良いだろう、引退せえや」と言って引退させられた。未だに僕は、金田さんは川上に引退させられたと怒っていると思います。当時の金田さんが少し肘を痛めていたのは事実なんですけど、本人の気持ちとしてはまだまだ出来る状態だったと思います。


江夏の9者連続三振


 昭和45年(1970年)、前年の八百長事件が尾を引いて、何となく暗い雰囲気の中でプロ野球が開幕するわけですが、これを吹き飛ばしてくれたのがジャイアンツの強さ。日本シリーズでロッテを破って日本一になります。

 実はこの昭和45年のオールスターゲームで、セ・リーグのエースピッチャー江夏が、パ・リーグの強打者相手に9者連続で三振をとるんです。この9者連続三振を、もちろんニッポン放送も実況していて、これを喋っていたのが高嶋ひでたけ。こういうところに遭遇するというのも、やっぱり彼のスター性のあるところではないかと思います。

 昭和47年(1972年)には福本さんが106盗塁というとんでもない記録、王さんが7試合連続ホームランを放ちます。それから阪神タイガースの村山実さんが引退。引退直前に甲子園で村山さんに会った時、「本当に引退してしまうんですか?」と聞いたら、「ちょっとこの手を触ってみてくれ」と右手を出し、触ると右手の先端が氷のように冷たい。血行障害だと。

 指の先まで血液が回らなかったんですね。これでは放れない。「フォークボールなんか放れないんです」と言って非常に残念ながら彼は引退した。長嶋さんも残念がって、「村山というのは面白いピッチャーだね。」と言うんです。どうしてかと聞くと、「俺に投げる時は泣きながら投げてくるんだよ。どうしてなんだろうね。涙を拭って泣きながら投げてくるんだよ」ということを言っていたこともあります。


一時代の終焉と新たな時代の始まり


 昭和48年(1973年)には、王さんがついに3冠王に。それから江夏さんが中日戦で、自分でホームランを打ってノーヒットノーランで勝ちます。長嶋さんがデッドボールで骨折をして、日本シリーズに出られないので一塁のベースコーチをやるという非常に変わった光景もありました。

 そして昭和49年(1974年)。ジャイアンツは中日に敗れて、V9でストップ。しかし、(ロッテの監督を務めていた)金田さんが監督として中日を破って日本一になります。その年の10月14日、長嶋が引退。年が明け、昭和50年3月23日には川上哲治さんの引退式がそれぞれ後楽園で行われました。

 このあたりから野球界が大きく様変わりしたなというのを本当に痛感した年です。


(ニッポン放送ショウアップナイター)
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