苦しむ清宮
今週は日本ハムの清宮幸太郎について。
非常に苦労していますね。清宮くん、でも大丈夫。先輩たちだってすんなりいったわけではない。
健康に予定通りキャンプを過ごしたとしても、開幕直後に一軍だったとは言えない。そのくらいプロ野球っていうのは難しいと思うんです。
これまでにも清宮くんのように期待された先輩がたくさんいました。彼らは一体どんな風にして、プロ野球の1年目を過ごしたか、色々と調べてみました。
1年目から活躍した高卒は…
スーパースターとして期待される(高卒の)選手が、1年目から戦力として溶け込んだのは、西武ライオンズ時代の清原和博と、大昔の話になりますが東映フライヤーズ時代の張本勲、注目された人ですんなりというのは、この2人が代表的です。
清原さんは1986年に西武ライオンズのルーキーとしてスタートを切り、126試合に出場して打率.304。ホームランが31本と新人離れした数字を残しました。それから(規定打席に到達したシーズンでは)3割を2回、30本塁打以上を7回、通算で525本の本塁打を放ちました。打撃の主要タイトルは獲得できませんでしたが、もっと評価されても良かったのではないかと思います。
それから東映フライヤーズに入った張本さん、例の“喝”ですよね…。1959年にプロ入りして(1年目は)125試合に出場して、115安打、ホームランが13本、打率は.275。プロ23年で3085安打を放ちましたが、初年度はそこまで凄い成績ではありませんでした。しかし、張本さんと清原さんは非常に良いスタートをきった方だと思います。
松井は1年目に11本塁打
清原さんとすぐ比較されたのが松井秀喜ですが、松井さんはどうだったかというと、新人の時のオープン戦は、53打数5安打、20三振で、開幕直前にファームに落とされました。
開幕後は、長嶋監督が「おい、松井でも呼んでくれ!」と話すほど、一軍の打線が繋がりを欠き、カンフル剤として5月1日に一軍に呼ばれました。すると翌日の5月2日、東京ドームのヤクルト戦で、高津投手からプロ初ホームランを放つのです。余談ですが、松井選手のプロ入り第1号の実況は私が務めました。
1年目は57試合に出場して、184打数41安打、11本塁打で、打率は.223でした。しかし、2年目は130試合に出場して、20本塁打、その後は非常に順調で日米通算2643安打。日米通算507本のホームラン。首位打者が1回、ホームラン王3回、打点王3回と、見事な成績を残しました。
世界のホームラン王が花開いたのは…
通算で868本ものホームランを打った王貞治の1年目は、94試合に出て、193打数31安打、ホームランが7本、打率はわずかに.161。2年目が打率.270、3年目が打率.253。4年目から苦肉の策として“一本足打法”を始めました。
すると“一本足打法”に変更した4年目に38本のホームランを打って、それからやっと王さんがホームランバッターとして軌道に乗るわけです。清宮くんの大先輩の大打者がこうですから、決して今から先を思って悲観することはないと思いますね。
清宮くんは、しっかり地に足をつけて、「もうファームでやることはない!」というお墨付きを頂き、一軍で活躍して欲しいです。それで充分間に合うと思うんですよ。「決して焦らないように」と、本当に心から言いたいと思います。
(ニッポン放送ショウアップナイター)
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