ニュース 2018.06.11. 11:30

衣笠祥雄と江夏の21球【深澤弘のショウアップナイターヒストリー】

無断転載禁止
長年にわたってショウアップナイターの実況を務めた“レジェンド”深澤弘スポーツアナウンサー [画像=ニッポン放送]

元指揮官が振り返る衣笠祥雄


 今週は、衣笠祥雄さんと『江夏の21球』に関する少し古い話を、皆さんにお話したいと思います。

 広島東洋カープ元監督の古葉竹識さんが、衣笠祥雄さんとの思い出ということで、『読売新聞』大阪本社運動部の記事として、「思い出」というタイトルで非常に良い記事があったので、ちょっと読ませていただきたいと思います。

現役時代から、さっち(衣笠祥雄さんの愛称)は背中でプロとしての生き方を示してくれました。怪我をしても監督の私には何も言わず、ゲームに出続けました。我慢強く、周りに気配りが出来る選手でした。

1979年5月、連続フルイニング出場の日本記録まで二十数試合に迫っていた頃です。打撃不振で先発メンバーから外すと、遠征先の岡山で伝えました。チームを初の日本一にするために勝ちたいという思いが強かった。だから試合には必ず出す。その間に調子を取り戻して欲しい。」と話すと、あっさり、「分かりました。」と、衣笠が言ってくれました。私を困らせないために、文句は1つもありませんでした。親友の江夏豊の前で涙を流したことは、これは後で分かったことです。

8月の巨人戦では西本聖から、左肩甲骨にデッドボールを受けました。亀裂骨折で、次に痛めると選手生命に関わるという大怪我です。翌日は欠場させることを考えましたが、大丈夫と言うので、代打で起用しました。バッドを振るだけでも痛いはずなのに、江川卓の速球に空振り三振したのは、西本やファンに元気な姿を見せたかったのでしょう。

日本一になったこの年の近鉄との日本シリーズ第7戦、江夏が抑えると信じていましたが、1点リードの9回、ノーアウト満塁のピンチで、実は私は別のピッチャーに準備をさせていたんですが、監督として、それは延長に入った時の考えだったからです。

それを見たマウンド上の江夏の態度が変わったことにすぐに気が付いて声をかけてくれたのが、一塁を守っていたさっちです。目を見ただけで相手の心情が分かる選手でした。

87年の引退まで連続試合出場を、世界記録の2215試合にまで伸ばしました。身体は大きくなかったけど、超一流でした。私より10歳以上も若いのに、先に逝ったのは辛過ぎます。さっちの姿を見て、後輩は猛練習を重ね、チームは黄金期を築きました。感謝しています。本当にありがとう。


 これは古葉竹識さんの衣笠さんの追悼文ですが、この中に出てきた、近鉄との日本シリーズ。この時に次のピッチャーの準備をさせようと思って、古葉さんが3塁側のブルペンに北別府投手を入れたんです。これは延長戦を見据えて。

 そしたら、その姿を見た江夏豊が、「俺がマウンドにいるのに、何で次のピッチャーの用意をするんだ!」と言って、マウンド上で怒鳴った。それを感じた衣笠がすぐに飛んで行って、「ここでこんな気持ちになるのは良くない。監督だってなぁ、延長戦のこと考えなきゃならないんだから、しょうがないだろう」と言って、江夏の気を鎮め、それでゲームが終わったという。

 例のあの山際淳司さんの小説にあった『江夏の21球』という本を皆さんご存知だと思いますが、これは実はこういう場面だったのです。


江夏の21球に至るまで


 1979年広島が近鉄を破って日本一になった場面。両者3勝3敗の第7戦、これは藤井寺球場ではなくて大阪球場。今はもうないんですが、難波に大阪球場がありまして、そこでゲームをやりました。

 広島は山根、福士、江夏。江夏はこのゲーム、クローザーとはいえ2回1/3を投げます。近鉄は鈴木、柳田、山口とピッチャーを繋いで、広島が4対3とリードして、9回の裏になります。このまま逃げ切ったら広島が優勝です。

 ここで何とか追い付きたいのが近鉄の西本監督。9回の裏、先頭の羽田がセンター前ヒットを放ちます。そこで代走の藤瀬、これは犬より速いと言われたランナーなんですが、その藤瀬を代走に出します。その藤瀬がワンストライク、ツーボールから2塁に盗塁。慌てたキャッチャー水沼がセカンド悪送球で、ランナーは一気に3塁へ行って、ノーアウト同点ランナーが3塁になります。

 アーノルドがフォアボール、でこのアーノルドという外国人に代わって吹石が、代走になります。お嬢さんが今タレントで有名な、あの吹石さんが代走になります。ランナー1・3塁から、吹石が2塁盗塁に成功して、ノーアウトランナー2、3塁。ワンヒットで逆転。近鉄がサヨナラ勝ちで日本一になるという場面を迎えました。

 その時の広島のマウンド上は、江夏豊です。広島ベンチは平野を敬遠して、9回の裏、1点を追う近鉄がノーアウト満塁という絶好のチャンスを迎えた。ここで古葉さんが、さっき申し上げたようにブルペンに北別府を送ります。

 もし江夏に何かあったら、あるいは延長になったら、という監督として当然のことなんですが、これを見た江夏投手が、「何で俺を信用しないんだ。俺がいるのに何でブルペンに人を入れるんだ。」と言って怒りまくる。そして、さっき申し上げたように、衣笠選手が走り寄ってこれをなだめ、ノーアウト満塁、点差はわずか1点、9回の裏、近鉄バッファローズの攻撃で、ゲーム再開となります。


江夏の21球


 江夏は渾身のボールを投げて、強打者・佐々木恭介を三振に討ち取ります。それでワンアウト、ランナーは3塁になります。で、トップバッターの石渡。もうここではですね、当然石渡にヒットが出て一気に逆転すればゲームが決まるんですが、それより何より、同点にすることが先だろうというネット裏の大方の予想通り、恐らくここはスクイズだろうとなるんですが、石渡の何球目にスクイズをするのか、これはわからなかった。

 で、セットポジション。江夏は左ピッチャーですから、3塁ランナー・藤瀬のスタートが見にくいわけです。バッターは1番の石渡。ピッチャー第1球セットポジション。どうしても投げられない。なかなか投げられない。

 ということで、お互い気配の読み比べ、ネット裏もここでやるかどうかみんなそれぞれ、100人いたら100人予想が違うような非常に面白い場面だったんですね。1球目、とにかく江夏が初球のスクイズはないだろう。キャッチャー水沼も初球はないだろうということで、カーブでストライクをとる。

 ここでストライクをとるという、もしスクイズやってきたらボールが当たりますけれど、恐らく初球はないだろうという、江夏・水沼のバッテリーの勘で、初球カーブでストライクをとります。で、ワンストライク、ノーボール、投球は2球目。

 さぁそろそろスクイズの気配も高まってくる、ピッチャーの江夏、セットポジションに入る、第2球……というところで、藤瀬がスタートをきります。3塁ランナースタート!ドーンと場内が沸いたんで、江夏がおかしな気配を感じて、ボールをとんでもないところへ。

 暴投じゃないんですが、ストライクじゃない、アウトコース高め、ボールを投げます。キャッチャーの水沼がキャッチャーズボックスから飛び出してそれを捕って、そこへ藤瀬が入ってきて、タッチアウト。結局、スクイズを外したことになるんです。
  
これが本当にスクイズを外したのか、あるいは江夏が慌ててそこへ投げたボールがいわゆるピッチドアウトのような形になって、ランナーを刺して。いずれにしても、スクイズを外した形になりました。これで2アウトをとって1点も入らない。

 その後のバッターボックス。スクイズを失敗した石渡が三振して、ゲームセットで4対3。広島が日本一になったんですが、このイニングのいわゆる21球というのが、江夏の21球というノンフィクションの小説になりました。これが大変売れました。


江夏の21球は偶然?


 しばらく経って、その年で水沼四郎が引退したんです。で、彼が評論家として甲子園球場に来た時に、まだゲーム前の静かな時にスタンドで聞いたことがあるんです。

――例の古い話だけど、近鉄日本一の例の江夏の21球ね?あれ最後投げたカーブというのは、本当に外したの?

 すると、水沼は次のように話してくれました。

違いますよ。あんなところ外せません。江夏っていうのは、非常に不器用なピッチャーで、カーブの握りをしたら咄嗟にそれを握り替えて真っ直ぐでピッチドアウトする、ということが出来るピッチャーではない。だから慌てたまんまで、カーブの握りで慌ててボールを投げてしまったんで、もうびっくりしましたけれど。幸いなことに暴投にならないで僕のミットに入ったんですが、あれは決して分かっていてやったピッチドアウトではないんです。

 やるなという気配は当然あそこはバッテリーは感じます。だけれど、やって来るなぁとは大分違うんで、偶然、江夏が慌てて、ボールが江夏の手からはみ出して、僕のミットに収まって、3塁ランナーピッチドアウト、タッチアウトになっただけで、そんなに我々まだ当時若かったし、そこまで計算出来なかったし、あの2球目でまさかスクイズなんて夢にも思わなかった。


 小説では、全部が筋書き通り、バッテリーの筋書き通りだったんですが、実はそういう話もありました。

 結局、西本監督は、そのスクイズ失敗によってまたまた日本一になることは出来なかったんですが、西本さんは古くは大毎(今のロッテです)の監督をやり、その後、阪急(今のオリックスです)、近鉄、このチームですね、監督をやり、8回日本シリーズに挑戦したんですけれど、1回も日本一になることが出来ないで、後に西本さんのことを“悲運の名将”と言うようになりました。

 でも僕は西本さんがニッポン放送の解説をしてくれた時に話したことがあるんですが、「俺のことを、みんな悲運の名将って言ってくれるけれど、そうじゃない。俺は決断が良くなかったんだ。だから勝負にことごとくやられた。大阪球場の時だってそう。未だにあの時の2球目のスクイズには悔いが残っている」ということを、西本さんが仰っていましたけれど、本当に古い話っていうのは色々あるし、いつまでも忘れない素晴らしい話だと思います。


(ニッポン放送ショウアップナイター)

※ショウアップナイターファンクラブ会員の方は、音声でもお楽しみいただけます!
入会無料! ⇒ http://showup89.com
ポスト シェア 送る

もっと読む

  • ショウアップナイター
  • ベースボールキング
FM