大谷翔平が帰国
今週は大谷翔平選手とイチローさん、この2人の事をお話ししていきたいと思います。
大谷翔平が日本に帰って来て、記者クラブで記者会見しました。あそこに座るのは、野球選手に限らず色んな人の憧れの的かもしれませんが、彼は記者クラブで堂々と話していました。彼の人柄そのままで、物怖じせず、そして暗くならず、それでいて話もかっこつけない。
私は新人研修会の時に、大谷翔平をはじめて呼び出して2人で会話した事があるんです。その時も「大谷くん!」と言ったら、「はい!」と大きな声を出して後ろのほうから来てくれました。その時は初対面でしたが、彼はニコニコニコニコしながら来て、ものの5分くらいの会話だったんですが、その時と今と言葉の使い方、声の出し方、それと音の性質、本当に変わらない。彼はずっとそれを貫いて、話も大人っぽくなってきました。
大谷とイチローの会話
その大谷翔平とイチローですが、2人がはじめて会った時に大谷がイチローのいる所へ飛んでいきました。するとイチローが一瞬、逃げるように背中を向けて、「あれ?どうしたんだろう?」と思うような仕草をするんですけれども、イチローがすぐに振り向いて2人が抱き合うように握手した。
2人の会話がどんな内容なのかということで、5分くらいの会話から帰ってきた大谷を記者団が追い掛け回すようにして、どんな事を話したんだと言ったけれど、イチローもその内容については触れないし、大谷も言わない。ただ大谷は「グランドでお話しをしましたが、そんなに色々話をしたわけではないんです。しかし心強い事を言われてイチローの言葉がのちに私の心の支えになりました」という事は後に言っていましたね。
では大谷とイチローがどんな会話をしたのか!? 以下は私の想像になります。
大谷:イチローさん始めまして。大谷です。宜しくお願いします。
イチロー:大谷くん、待っていたよ。どうだいアメリカは。
大谷:はい。わからない事ばかりで不安で仕方がありません。
イチロー:大丈夫だよ。なんとかなるさ。俺だって最初は不安だらけでこっちへ来たけれど、でもなんとかなった。まあ頑張れ、何かあったら力になるから。
その程度の会話だと思うんです。そこにプラスアルファがあるとしたら次のような内容かもしれません。
大谷:打てるかどうか不安なんです。そんな事ばかり考えているんですよ。
イチロー:大丈夫さ、少なくとも君は160キロのボールを持っている。こっちにもそう沢山はいない。それだけで大丈夫。やれるんだ。だからそう心配するな。
この架空の会話の中に出てくるイチローの「俺だって最初は不安だらけでこっちへ来たけれど、でもなんとかなった」という部分は、彼が味わった本当の気持ちだったと思うんです。
イチローとパンチョ伊東さん
シアトル・マリナーズに行くと決まったとき、自分ができるかどうか非常に不安で不安で仕方がなかった。その時は日本では敵なし。打ちまくっていたのですが、アメリカへ行って、これが通用するのかどうか非常に不安だった。日本にいる時から色んな事を探し回って、最終的に大リーグのことなら何でも知っているパンチョ伊東さんの所へ来たんです。
パンチョ伊東さんはそれまでずっとパ・リーグの広報部長をやっていて、イチローがオリックスの時は同じリーグだったので2人は非常に親しかった。そこでイチローはパンチョさんに「本当に俺は大丈夫?」と尋ねていました。
何回か話をしたうちの1回に私も同席した事があるんですが、イチローは「パンチョさん本当に俺は大丈夫?」と言うんですね。するとパンチョさんは「大丈夫だよ。これだけ何年もメジャーを見ている俺がメジャーの全ての選手とお前を比較して、こうやって大丈夫だと言っているんだから大丈夫に決まってる。心配しないで行ってこい」と言うんです。
そうするとイチローが「そんな事を言ってもパンチョさんは見ているだけで、実際にアメリカのピッチャーのボールを打ったことも取った事もない。俺はアメリカのピッチャーをこれから打たなきゃならないんだよ」と返す。
それに対してパンチョさんは、「何を言っているんだよ。俺が大丈夫と言っているんだから大丈夫。ビクビクするんじゃない。打つ事にそんなに心配だったら、外野の守備だけを比べてみよう。いま大リーグでお前ほど、守って走れてしかも正確なスローイングが出来る奴は外野手に1人もいない。お前の守備は世界一。それだけで大リーグでプレーする価値はある。それだけでも安心材料じゃないか」と言っていました。
いくらパンチョ伊東さんがイチローに「お前は大丈夫だよ。お前は守備だけだってお金になるし守備だけだって向こうの人は満足するから大丈夫だ」と言ったって、「そうかなぁ」の一言。あの時のイチローの表情を私は覚えていますが、もうパンチョさんはこれ以上言い様がないと言うような感じで、とにかく行って頑張って来いと言うので、イチローはアメリカに行きました。
イチローの支えになったパンチョ伊東
しかし、パンチョさんは非常に心配なので、キャンプの時からアメリカへ1人で渡ってずっとイチローの傍に付いている。傍に付いていると言っても、ずっと一緒に生活できるわけではないんですが、そのままシーズンに入る。
5月くらいまでシアトルを中心にイチローのプレーを見て、そうなるとイチローはある程度どんなレベルにいるかが分かるので、パンチョさんは安心して日本へ帰ってきたわけです。それが5月の連休明けです。と同時に、彼は体調を崩して、そのまま病院に入院しました。
それから2年近くが経ち、とうとう動けなくなりました。イチローはその後、オールスターゲームに出るんですが、それも行けない。オールスターに行くサンケイスポーツの記者にイチローへの伝言を頼んでいましたけれど、それもパンチョさんはペンで字を書くような気力もなく、従って口伝えなんですが、「俺が言った通りだろう。もっともっとこれから良い世界へ入っていけるから思い切って頑張れ。心配するな」という事を記者に言い残して、パンチョさんはベットでイチローのオールスターゲームを見ました。
とても悔しがっていましたね。「もし治ったら俺はもう1回イチローのところへ行くんだ」と。「イチローのいるシアトルとサンフランシスコは俺の大好きな街なんだ。そこへ行くんだ。でもイチローは俺が言った通りになって良かった。そうだろ?」と会心の笑みをもらしていました。
結局、イチローは大リーグを代表するとんでもない選手になった。これは全てがパンチョさんの言葉のお陰とは言いませんけれど、パンチョさんの誰も知らない未知の世界へ行くイチローを激励した言葉が、イチローの心に染みたのではないでしょうか。それで同じような事をさっきの架空の会話じゃないけれども、イチローが大谷翔平にも言ったのではないかと思うんです。もちろん、どちらも上手く行くと思います。肘の手術も上手くいったので大丈夫。来年も期待したいと思います。
(ニッポン放送ショウアップナイター)
※この原稿は11月27日に収録されたものを再構成したものになります。
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