「山井がパーフェクトをやっているのを知っていましたけど、僕は代わるものだと思っていました。当然1点を守りにいっているので、集中して守っていました」。
13日に放送された『ショウアップナイタースペシャル 野球がなければ、ラジオじゃない』に出演した井端弘和氏は、『2007年の日本シリーズ 中日-日本ハム 第5戦』の9回表に入る前の気持ちをこう振り返った。
前年も日本ハムと日本シリーズで対戦し、1勝4敗で敗れた中日。この年の中日はシーズン2位に終わったものの、同年から始まったクライマックスシリーズで、第1ステージで阪神、第2ステージで巨人を撃破し日本シリーズ進出を決めた。
2年連続で同じ顔合わせとなった日本シリーズは、敵地・札幌ドームで行われた第1戦に敗れたものの、第2戦から3連勝で日本一に王手をかけた。本拠地・ナゴヤドームで53年ぶりの日本一をかけて、山井大介が第5戦の先発マウンドにあがった。山井は完璧な立ち上がりを見せると、打線も2回に平田良介の犠飛で先制。この日の山井は1点のリードで十分だった。日本ハム打線を全くよせつけず、8回までパーフェクトピッチング。
1-0のまま試合は9回へ進む。球場にいたファンの多くが山井の完全試合&日本一を期待していたが、落合博満監督はここで絶対的守護神・岩瀬仁紀をマウンドに送った。歓声とももに、悲鳴に近い声もあがったナゴヤドーム。この状況のなかで、岩瀬は3人で試合を締め、53年ぶりの悲願を達成した。
井端氏は「あとあと騒がれましたけど、僕の中では当然岩瀬さんだろうという気持ちの方が強かった。山井がそのままだったら、逆に岩瀬さんじゃないのという気持ちが強かったと思いますね」と振り返る。
井端氏をはじめ、荒木雅博、福留孝介、川上憲伸、岩瀬仁紀が中心選手となり、黄金時代を築きはじめた中日は日本一のチャンスがありながら、04年、06年と日本シリーズで勝てなかった。
井端氏は「絶対に勝たないといけないですし、53年日本一になっていなかった。そう簡単に勝てるものではないですし、そういうチャンスも二度とこないかもしれないので、ドラゴンズの守護神といったら岩瀬さん。岩瀬さんで当然じゃないかなと今でも思っています」とその後、賛否両論を呼んだ継投による“完全試合”について語った。
継投による完全試合で日本一を決めたが、「リーグ優勝した方が嬉しさは強かったと思いますね」と井端氏のなかでもモヤモヤとした気持ちが残っているという。「この年はリーグ優勝していなくて、クライマックスシリーズが始まった年で、2位から1位を破って日本シリーズに出た。気持ち的に『いいのかな?』と思って日本シリーズに入った。あとは日本一になってしまえば、その気持ちも薄れるかなというだけでやっていた。本当に長いシーズンを勝ってリーグ優勝したときの方が喜びは強かったですね。日本一なんですけど、これが本当に複雑。本当の意味での日本一になった実感は今でもないですよね」。日本一を達成しても、シーズン2位からクライマックスシリーズを勝ち抜いて日本一になったという思いが、今も心に強く残っているようだ。
井端氏はその後、中日で2010年、2011年、巨人で2014年にリーグ優勝を経験したが、日本シリーズでは10年は3位・ロッテに下剋上をくらい、11年はソフトバンクに3勝4敗で敗れた。そして、14年は阪神とのクライマックスシリーズで敗れ、日本シリーズに進出することもできなかった。あとにも先にも、井端氏が選手として日本一を達成した瞬間は2007年だけだった。
(ニッポン放送ショウアップナイター)
13日に放送された『ショウアップナイタースペシャル 野球がなければ、ラジオじゃない』に出演した井端弘和氏は、『2007年の日本シリーズ 中日-日本ハム 第5戦』の9回表に入る前の気持ちをこう振り返った。
前年も日本ハムと日本シリーズで対戦し、1勝4敗で敗れた中日。この年の中日はシーズン2位に終わったものの、同年から始まったクライマックスシリーズで、第1ステージで阪神、第2ステージで巨人を撃破し日本シリーズ進出を決めた。
2年連続で同じ顔合わせとなった日本シリーズは、敵地・札幌ドームで行われた第1戦に敗れたものの、第2戦から3連勝で日本一に王手をかけた。本拠地・ナゴヤドームで53年ぶりの日本一をかけて、山井大介が第5戦の先発マウンドにあがった。山井は完璧な立ち上がりを見せると、打線も2回に平田良介の犠飛で先制。この日の山井は1点のリードで十分だった。日本ハム打線を全くよせつけず、8回までパーフェクトピッチング。
1-0のまま試合は9回へ進む。球場にいたファンの多くが山井の完全試合&日本一を期待していたが、落合博満監督はここで絶対的守護神・岩瀬仁紀をマウンドに送った。歓声とももに、悲鳴に近い声もあがったナゴヤドーム。この状況のなかで、岩瀬は3人で試合を締め、53年ぶりの悲願を達成した。
井端氏は「あとあと騒がれましたけど、僕の中では当然岩瀬さんだろうという気持ちの方が強かった。山井がそのままだったら、逆に岩瀬さんじゃないのという気持ちが強かったと思いますね」と振り返る。
井端氏をはじめ、荒木雅博、福留孝介、川上憲伸、岩瀬仁紀が中心選手となり、黄金時代を築きはじめた中日は日本一のチャンスがありながら、04年、06年と日本シリーズで勝てなかった。
井端氏は「絶対に勝たないといけないですし、53年日本一になっていなかった。そう簡単に勝てるものではないですし、そういうチャンスも二度とこないかもしれないので、ドラゴンズの守護神といったら岩瀬さん。岩瀬さんで当然じゃないかなと今でも思っています」とその後、賛否両論を呼んだ継投による“完全試合”について語った。
継投による完全試合で日本一を決めたが、「リーグ優勝した方が嬉しさは強かったと思いますね」と井端氏のなかでもモヤモヤとした気持ちが残っているという。「この年はリーグ優勝していなくて、クライマックスシリーズが始まった年で、2位から1位を破って日本シリーズに出た。気持ち的に『いいのかな?』と思って日本シリーズに入った。あとは日本一になってしまえば、その気持ちも薄れるかなというだけでやっていた。本当に長いシーズンを勝ってリーグ優勝したときの方が喜びは強かったですね。日本一なんですけど、これが本当に複雑。本当の意味での日本一になった実感は今でもないですよね」。日本一を達成しても、シーズン2位からクライマックスシリーズを勝ち抜いて日本一になったという思いが、今も心に強く残っているようだ。
井端氏はその後、中日で2010年、2011年、巨人で2014年にリーグ優勝を経験したが、日本シリーズでは10年は3位・ロッテに下剋上をくらい、11年はソフトバンクに3勝4敗で敗れた。そして、14年は阪神とのクライマックスシリーズで敗れ、日本シリーズに進出することもできなかった。あとにも先にも、井端氏が選手として日本一を達成した瞬間は2007年だけだった。
(ニッポン放送ショウアップナイター)