話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。本日は、8月1日に行われた中日戦で、今季初の1軍マウンドに立った、阪神・藤浪晋太郎投手にまつわるエピソードを取り上げる。
「試合前のキャッチボールのときから大きな声援をいただいて、マウンドに上がるときも、いままで浴びたこともないような声援で盛り立てていただいたのに、そのファンの方々の期待に応えることができず、悔しい投球となりました」
1日、久々に甲子園球場のマウンドへ戻って来た藤浪。1軍での先発は、昨年(2018年)10月6日のDeNA戦以来、実に299日ぶりのことでした。
2012年、大阪桐蔭高のエースとして、甲子園春夏連覇を達成。その年のドラフトでは4球団が1位指名で競合。地元・阪神がクジを引き当て、鳴り物入りで入団しました。
1年目から10勝を挙げ、入団から3年連続で2ケタ勝利を記録。虎のエースとしてチームを引っ張って行く……と誰もが思っていた4年目から、その輝かしい野球人生に暗雲が漂い始めます。
2016年からの3シーズンは、7勝・3勝・5勝。もともと球は速いが荒れ球で、それが藤浪の持ち味でもあったのですが、コントロールを意識しすぎるあまり、逆に手元が狂って制御が効かなくなり、制球難ばかりが目立つようになりました。
四死球を連発して自滅するパターンが続き、ファーム調整を命じられ、1軍に復帰してもまた「ノーコン病」が再発して2軍落ち……。阪神ファンにしてみれば「どうなっとるんや?」と言いたくなる状況が続いていますが、大黒柱・メッセンジャーが故障で離脱中のいま、藤浪の復活を首脳陣もファンも待ちわびているのです。
そんな状況のなか、ようやく迎えた1日の今季(2019年)初登板。くしくもこの日は、大正13年(1924年)8月1日にオープンした、甲子園球場の開場95周年記念日でした。
ちょうど5年前、開場90周年の日も先発は藤浪でしたが、あえてメモリアルデーに先発させた矢野監督。藤浪に「よかったときの自分を思い出してほしい」という無言のメッセージだったのかもしれません。
初回、藤浪がマウンドに向かうと、黄色く染まった満員のスタンドから、ものすごい声援が沸き起こりました。いきなり先頭の平田を歩かせ、一死二塁のピンチ。しかし3番・アルモンテを、内角を鋭く突く155キロの真っ直ぐで見逃し三振に打ち取ると、甲子園はまたもや大歓声と拍手に包まれました。
しかしそこから、ビシエド・阿部に連続四球を与え、二死満塁のピンチを招いた藤浪。また何度も繰り返して来た自滅パターンか……と思いきや、堂上を外角へのスライダーで空振り三振! ベンチに戻って来た藤浪を、ファンはスタンディングオベーションで迎えました。
何とか無失点で切り抜けたとは言え、初回だけで36球を要し、先発としては明らかに投げすぎです。2回も京田を歩かせた後、中日の捕手・木下拓への投球が二の腕を直撃。ノーヒットで無死一・二塁と、またもや自滅モード。
ところが、平田を内野フライに打ち取ると、大島の二ゴロが走者・木下拓の足に当たって守備妨害でアウトになり、またも無失点。毎回ランナーを出しながら、なぜか点を取られない不思議なピッチングが続きます。
5回、無死一・三塁のピンチに、ビシエドの犠飛でついに1点を許し、続く阿部をこの日6個目の四球で歩かせたところで球数が102球に達し、矢野監督が交代を告げました。
4安打8四死球を与えながら1失点で済んだのは奇跡的で、復活と言うには程遠い内容でしたが、いつもなら大量失点していたシーンで踏みとどまり、とりあえず試合は作った藤浪。降板時にも、スタンドから温かい拍手が送られました。
ゲームはその後、北條の同点アーチと、マルテの勝ち越し打で逆転した阪神が、リリーフ陣の奮闘もあって3-2で勝利。甲子園メモリアルデーを白星で飾りました。
試合後、藤浪の今後の起用について聞かれた矢野監督は、
「(1軍登録を)抹消します。次のチャンスは、晋太郎自身がつかむものだと思いますしね。僕らも投げる姿を見たい。それは晋太郎自身が作って、また戻って来ることだと思います」
と期待を込めつつ、藤浪に再調整を命じた指揮官。さらに、こう続けました。
「僕は、降板したときのタイガースファンが大きな拍手を送ってくれたというのは、晋太郎自身もやっぱり感じるものがあったと思います。それに応える投球を見せて行く拍手だったと思うんですね」
高校時代は、現エンゼルスの大谷翔平(花巻東)と並び称された藤浪。甲子園のマウンドは、春夏連覇を果たした思い出の場所でもあり、虎のエースとして再起するには、この場で再び勝つしかありません。
「いままで野球をやってきたなかで、いちばん大きな声援をもらったかもしれません。鳥肌が立つぐらいのすごい声援をもらった。ああいう場所で野球をしたいと改めて思いました」(藤浪)
セ・リーグも混戦模様になり、逆転Vの目もまだまだ残っています。90周年に続き、95周年のメモリアルデーに先発を託された意味を噛みしめながら、藤浪はファームで再出発します。
「試合前のキャッチボールのときから大きな声援をいただいて、マウンドに上がるときも、いままで浴びたこともないような声援で盛り立てていただいたのに、そのファンの方々の期待に応えることができず、悔しい投球となりました」
1日、久々に甲子園球場のマウンドへ戻って来た藤浪。1軍での先発は、昨年(2018年)10月6日のDeNA戦以来、実に299日ぶりのことでした。
2012年、大阪桐蔭高のエースとして、甲子園春夏連覇を達成。その年のドラフトでは4球団が1位指名で競合。地元・阪神がクジを引き当て、鳴り物入りで入団しました。
1年目から10勝を挙げ、入団から3年連続で2ケタ勝利を記録。虎のエースとしてチームを引っ張って行く……と誰もが思っていた4年目から、その輝かしい野球人生に暗雲が漂い始めます。
2016年からの3シーズンは、7勝・3勝・5勝。もともと球は速いが荒れ球で、それが藤浪の持ち味でもあったのですが、コントロールを意識しすぎるあまり、逆に手元が狂って制御が効かなくなり、制球難ばかりが目立つようになりました。
四死球を連発して自滅するパターンが続き、ファーム調整を命じられ、1軍に復帰してもまた「ノーコン病」が再発して2軍落ち……。阪神ファンにしてみれば「どうなっとるんや?」と言いたくなる状況が続いていますが、大黒柱・メッセンジャーが故障で離脱中のいま、藤浪の復活を首脳陣もファンも待ちわびているのです。
そんな状況のなか、ようやく迎えた1日の今季(2019年)初登板。くしくもこの日は、大正13年(1924年)8月1日にオープンした、甲子園球場の開場95周年記念日でした。
ちょうど5年前、開場90周年の日も先発は藤浪でしたが、あえてメモリアルデーに先発させた矢野監督。藤浪に「よかったときの自分を思い出してほしい」という無言のメッセージだったのかもしれません。
初回、藤浪がマウンドに向かうと、黄色く染まった満員のスタンドから、ものすごい声援が沸き起こりました。いきなり先頭の平田を歩かせ、一死二塁のピンチ。しかし3番・アルモンテを、内角を鋭く突く155キロの真っ直ぐで見逃し三振に打ち取ると、甲子園はまたもや大歓声と拍手に包まれました。
しかしそこから、ビシエド・阿部に連続四球を与え、二死満塁のピンチを招いた藤浪。また何度も繰り返して来た自滅パターンか……と思いきや、堂上を外角へのスライダーで空振り三振! ベンチに戻って来た藤浪を、ファンはスタンディングオベーションで迎えました。
何とか無失点で切り抜けたとは言え、初回だけで36球を要し、先発としては明らかに投げすぎです。2回も京田を歩かせた後、中日の捕手・木下拓への投球が二の腕を直撃。ノーヒットで無死一・二塁と、またもや自滅モード。
ところが、平田を内野フライに打ち取ると、大島の二ゴロが走者・木下拓の足に当たって守備妨害でアウトになり、またも無失点。毎回ランナーを出しながら、なぜか点を取られない不思議なピッチングが続きます。
5回、無死一・三塁のピンチに、ビシエドの犠飛でついに1点を許し、続く阿部をこの日6個目の四球で歩かせたところで球数が102球に達し、矢野監督が交代を告げました。
4安打8四死球を与えながら1失点で済んだのは奇跡的で、復活と言うには程遠い内容でしたが、いつもなら大量失点していたシーンで踏みとどまり、とりあえず試合は作った藤浪。降板時にも、スタンドから温かい拍手が送られました。
ゲームはその後、北條の同点アーチと、マルテの勝ち越し打で逆転した阪神が、リリーフ陣の奮闘もあって3-2で勝利。甲子園メモリアルデーを白星で飾りました。
試合後、藤浪の今後の起用について聞かれた矢野監督は、
「(1軍登録を)抹消します。次のチャンスは、晋太郎自身がつかむものだと思いますしね。僕らも投げる姿を見たい。それは晋太郎自身が作って、また戻って来ることだと思います」
と期待を込めつつ、藤浪に再調整を命じた指揮官。さらに、こう続けました。
「僕は、降板したときのタイガースファンが大きな拍手を送ってくれたというのは、晋太郎自身もやっぱり感じるものがあったと思います。それに応える投球を見せて行く拍手だったと思うんですね」
高校時代は、現エンゼルスの大谷翔平(花巻東)と並び称された藤浪。甲子園のマウンドは、春夏連覇を果たした思い出の場所でもあり、虎のエースとして再起するには、この場で再び勝つしかありません。
「いままで野球をやってきたなかで、いちばん大きな声援をもらったかもしれません。鳥肌が立つぐらいのすごい声援をもらった。ああいう場所で野球をしたいと改めて思いました」(藤浪)
セ・リーグも混戦模様になり、逆転Vの目もまだまだ残っています。90周年に続き、95周年のメモリアルデーに先発を託された意味を噛みしめながら、藤浪はファームで再出発します。