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「イチローを越えかけた男」の少年時代、不登校になった高校時代

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アメリカでは3Aでプレーし、イチローよりも早いメジャーデビューまであと一歩のところまで行った根鈴雄次さん。現在は『アラボーイベースボール・根鈴道場』(横浜市都筑区)であらゆる年代のプレーヤーの指導を行っている。そんな根鈴さんは、高校入学早々から四番を任されるほどの実力がありながら、なぜ野球部を辞めてアメリカに渡ったか? そこにはどのような経緯があったのでしょうか?




■高校入学直後に監督に直談判


——小・中学生の頃はどんな野球少年でしたか?
「小6の時に身長が170cmあって、体が大きくて速いボールを投げられたので、とにかくピッチャーでよく投げていました。今考えると明らかに投げ過ぎで、その影響で利き腕の左腕だけ今でも短いんですよ」

——当時からかなりトレーニングをされていたとうかがいましたが。
「メジャーリーガーのカンセコやマグワイアが凄いホームランを打っていたのをBS放送でよく見ていましたね。あと北斗の拳とプロレスが好きで、その三つから『体を鍛えたい!』という発想になって、ボディビルのジムに通ってトレーニングを始めました(笑)。中3の時にベンチプレスで100キロあげてました」

——当時の野球界ではまだまだウエイトの知識は広がっていない時期ですね。
「どの高校にも食事と休養が大切という考えがまだない時代で、ろくに朝食も食べずに走り込んでいたらどんどん筋肉が萎んでいくんですね。なので、入部したての1年でしたけど、監督に『朝はしっかり食べさせて欲しい』『アミノ酸を摂取させて欲しい』『練習中に水を飲まないと危険です』と直談判してましたね(笑)」

——当時から行動力がすごいですね(笑)
「でも、当時の監督さんは度量のある方で、普通は『なんだと!』ってなるところだと思いますけど、話をきちんと受け止めて、認めてくれましたね。なかなかできることではないと思います」

■不登校、留年、そして渡米


——入学早々から4番を任せられる実力がありながら、その後は不登校になり野球の練習にも行かなくなったそうですね。
「入学してすぐの試合でホームランを打って、その後のモチベーションの維持が難しくなったり、家庭の中がゴタゴタしていたり…思春期の時期にいろんなことが重なって自律神経のバランスを崩して、学校に行けなくなったんです。野球をやりたくてもやれないという状況になりました。それで留年して、もう一度高校1年をやることになったんです」

——もう一度学校に行くようになったのは、何かきっかけがあったのですか?
「『根鈴はあのまま終わった』と思われるのが悔しいじゃないですか? なので、2回目の1年生は勉強をものすごく頑張りましたね。学年で一番にもなりましたから。それで1年後、同級生たちが3年になっていたんですけど、もう一度野球部に戻りました」

——そこから、なぜアメリカに渡られたのですか?
「野球部に復帰したんですけど、『1年以上野球をやってなかった奴をなぜ使うんだ!』とか、周囲の不満みたいなのがあるなって、何とくなくわかるじゃないですか? そういうのに疲れたんですね。それで休学して、アメリカに行くことにしたんです。どうしてもアメリカが良かったというわけではなくて、当時は日本に独立リーグもクラブチームもなかったですから、高校で野球を辞めた人間がもう一度野球を続ける道はアメリカしかなかったんです」

——英語は話せたんですか?
「アメリカに最初渡った時は何もできませんでした。でも、だんだん会話が通じるようになってくるんです。そうするとソフトボールに参加させてもらうえるようになっ¬て、しばらくすると次は野球チームの練習に行けるようになって、(少しずつ成長していく)リアルなロールプレイングゲームをしているような感じでしたね」

——ネットもない時代に英語も喋れない中で、十代の子が単身アメリカに渡るというのはかなり勇気がいることですね。
「大体の不登校になるような生徒は自分に自信が持てないことが多いと思うんですけど、自分の場合は最初のアメリカでの経験が自信になって、その後に繋がったというのはあると思いますね」
(取材・西尾典文/写真・編集部)

*次回は、様々な体験をしてきた根鈴さんが少年野球の保護者や指導者に伝えたいことを伺います。
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