ショウアップナイター エピソード55
<エピソード15 ~一生懸命野球をやれば良い事が起きる!~>
~今年2021年、放送開始から「55周年」のシーズンを迎えたニッポン放送「ショウアップナイター」。これを記念し、中継だけでは届けきれない取材情報や解説陣の“ここだけの話”など、「55」のエピソードを紹介していく連載企画~
ショウアップナイター解説者の大矢明彦が、1978年のヤクルト球団初の日本一について振り返った。
今年2021年に55周年を迎えるニッポン放送ショウアップナイター。その解説者である大矢明彦に、自身も正捕手として日本シリーズで阪急ブレーブスを倒し、球団創設29年目にして初の日本一になった1978年のヤクルトスワローズについて聞いた。
---1978年の日本シリーズ、ヤクルトスワローズは阪急ブレーブスを破り日本一に輝きました。その激闘は語り草になってますが、本当にすごい試合でしたよね。
「3勝3敗で迎えた第7戦、あの時は、神宮が使えなかったので後楽園での試合でした。0対0で迎えた6回、大杉勝男さんがレフトに大きなホームランを打ったんですよ。本当に大きな弧を描いて、レフトポールのだいぶ上を通っていったので、『ファールかホームランか、どっちかな?』と思い、僕は一塁ベンチからすぐに線審を見ました。レフトの線審は、富澤宏哉さんというセントラルの審判の方が担当していましたが、富澤さんが手をまわしてくれたので『うわ~、やった~!』と思いましたね。その後、ファールかホームランでだいぶ揉めましてね、そこからが長かったですけどね(笑)(※編集部注:1時間19分の中断)。でも、神様がホームランにしてくれたので、印象に残るホームランでした」
---最後にこのようなドラマティックな展開があって日本一になった時は、ひと味もふた味も違いました?
「それまで優勝を知りませんでしたし、日本シリーズでもまさか阪急に勝てるとは思ってなかったので『もう一回後楽園に戻って試合やりたいな』ぐらいの感じだったんですよ。それが第7戦までいって、松岡弘のナイスピッチングがあって、そして大杉さんのホームランがあって……そう言えば、その大杉さんの打球がホームランかファールで揉めている最中にハプニングが起こってたんですよ。なんと、後楽園の1塁側のベンチの横にある水道管が破裂したんですよ。当時のベンチは位置が低くて、その水が『ドー』とベンチに流れ込んできてね、どちらかというとこっちの方が心配でした(笑)。あとは松岡がだいぶ長く待たされましたので、『この後大丈夫かな?』とこちらも心配でしたね。優勝というよりも、そういう方の思い出が残ってますね(笑)。
それと、この試合のチケットはなかなか取れなかったみたいで、自分の高校時代の友達が1塁側ではなく3塁側で応援しててね、阪急の応援団と揉めてたんですよ(笑)。『大丈夫かな?』と思ってね、それも心配でした。
でも、優勝はなかなか経験できないので良い思い出でしたね」
----その他に思い出などありますか?
「優勝が決まる前の仙台での広島カープとの試合、ノーアウト1塁・2塁でバントのサインが出ていたんですね。でも野手がだいぶ動くものだから、僕はバスターやったんですよ。だけど、バスターがホームランになっちゃってね(笑)。3ランホームランになって、それが自分の中ではとっても嬉しかったんだけど、ベンチに帰ってきたら広岡監督に『バントのサインが出てただろ?』って言われました(笑)
『やっぱり野球はチームプレーだな。みんなで一生懸命やるとこういう良いことが起きるんだな。一生懸命野球をやらないといけないな』とつくづく思い知らされたシーズンでしたね」