ニュース 2021.09.30. 18:33

オリックス・西浦颯大、引退までの苦悩と決断

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1球だけの守備を終え、チームメイトに迎えられるオリックス・西浦<写真=北野正樹>

無念の復帰断念


 オリックスの西浦颯大(22)が9月28日、4年の現役生活にピリオドを打った。

 2020年のシーズン終盤、国指定の難病「両側特発性大腿骨頭壊死症」と診断され、2度の手術を経てリハビリを続け、一時はティー打撃をするまでになったが、病状は改善せず無念の復帰断念、現役引退となった。


 己の不明を恥じた。

 引退試合が行われた、オリックスの二軍の本拠地、オセアン・バファローズスタジアム。午後12時過ぎ、西浦がベンチ裏に続く通路に姿を見せた。

 右手の松葉杖で体を支え、足元を確かめるように、ゆっくりと歩みを進めネット越しにファンに手を振った西浦。

 「こんなに、悪かったのか」。正直に言って、ショックだった。病状の悪化を理由に現役引退が発表された9月24日の翌日、「28日の勇姿を楽しみにしています」と、西浦にLINEを送った。

自身のツイッターやインスタグラムを通した病状、経過報告で「全く痛くないです。確実によくなっている」(4月2日)、「(松葉杖なしの)自力で歩けるまで回復しました」(4月15日)、「2日に1回のペースで舞洲に通っています」(5月9日)と書き込んでおり、順調な回復を信じていた。

 8月28日にはティー打撃の映像を公開。「右中間生まれ左中間育ちの人によるティーバッティング! 半年ぶりにバット振りました」と報告していた。それだけに、引退の報に接したときは、シーズンを通して活躍するプロ野球選手としての復活は難しくても、短時間ならアマチュア選手並みの動きは出来るのだろうと思っていた。

 脳腫瘍でボールが二重に見えた元阪神の横田慎太郎選手が、引退試合で打球を処理した後、中堅から本塁への送球で走者を刺した「奇跡のバックホーム」を、西浦も見せてくれるのではとの期待もあった。

 球場に着いてから、球団関係者に守備に就くのは先頭打者への1球だけと知らされたが、その姿を見て納得せざるを得なかった。

 グラウンド上で松葉杖を使わなかった西浦は、試合後の代表取材に対し、通路で松葉杖を使った理由を「骨が滑らないように」と説明した。球団施設から球場までの距離があり不自然な体勢になって患部を傷つけないようにするためのものだったが、ファンにありのままの姿を見せたいとの西浦の強い思いを感じた。

 順調な回復ぶりに見えた8月末のティー打撃だが、実は8月初旬に、引退を「即決していた」という。「一番の思いは、打席に立ちたかった。(試しては)ダメだったがもし、立てる時が来るならと練習していたが、ダメでした」と、最後の試合で打席に立って終わりたい思いがあったことを明かした。そんな思いで体を追い込んでいたことを知り、改めて強いプロ根性を持つ男だと気付かされた。


記憶に残る名手


 記憶に残る外野手だった。

 明徳義塾高で2年の春から3年の夏まで4度、甲子園に出場。2018年にドラフト6位で入団。1年目の公式戦出場は2試合だったが、19年は守備力を買われ「2番・中堅手」として開幕スタメン出場を果たし、77試合に出場、7つの補殺を記録した。

 補殺とは、守備側の選手が打者や走者を間接的にアウトにすること。外野手の場合は、打者走者や塁上の走者を矢のような送球でアウトにし、進塁を阻止するケースがそれにあたる。

 この年、外野手の捕殺部門のトップは、金子侑司(西武)、木村文紀(同)の「9」で、荻野貴司(ロッテ)、秋山奨吾(西武)の「8」と続き、西浦は5位につけた。出場試合は金子が132試合、木村は128試合、荻野は125試合、秋山が143試合に対し、西浦は77試合。出場試合が圧倒的に少ない中でトップに2差は、西浦の守備力の高さを裏付けるものだ。

 そんな守備の名手の引退に、元日本ハムの森本稀哲さんは、自身のツイッターで「俺は、あの左中間のフライをセンターからの魂のバックホーム。あの外野手魂を忘れない」と、その強肩を称えた。まさしく、プロが一目を置く、プロが認めるプレーヤーだった。

 熊本県から進学した明徳義塾高で、プロへの道筋をつけた西浦。だが、明徳義塾高の馬淵史郎監督は「中学時代は全く知らず、誘ったわけではない」という。熊本で西浦の所属したチームでコーチを務める同校の野球部OBから「いい素材の選手がいる」と報告があり、西浦の希望で入学したが、300キロ近い背筋力や抜群の運動神経の良さに、馬淵監督は度肝を抜かれたそうだ。

 「中学生なのに、プロ並みの背筋力。特に鍛えたわけでもなく、持って生まれた身体能力の高さだった」と、当時を振り返る。


 西浦の名前が一躍、全国区になったのは、2年の夏の甲子園。3回戦の嘉手納(沖縄)戦での満塁本塁打だろう。

 2人に西浦の高校時代の印象に残るプレーを聞いてみた。

 西浦は、入学直後の遠征での練習試合(香川・尽誠学園戦)で放った本塁打を挙げた。「左投手のカーブを右翼に本塁打して自信がついた。そこからAチームに合流できたので、印象に残る試合」と西浦。

 馬淵監督が挙げたのは、3年の夏の大会前の島根県での練習試合(開星高)での守備。「右翼手の頭上を越す真後ろへの打球を、向こうを向いてヘッドスライディングして捕球した。いつも捕れないと思うような打球を捕っていたが、あれは2度と出来ないプレー」と守備力を高く評価した。

 馬淵監督が、打撃ではなく守備を挙げたのは、肩だけでなく打球への反応や脚力など、プロで通用する素材として見抜いていたことに他ならない。

 所用で引退試合に駆け付けることが出来なかった馬淵監督は、「もっともっと野球をさせてやりたかった。脚が売りの選手が、なんで脚が使えなくなってしまうのか」と病魔を恨み、「あの小さい体で、あの動き。太らない体質で『飯を食え』と言ってきたが。軽四にスポーツカーのエンジンを積んでいたようで、それも選手寿命を縮めることにつながったのかもしれない」と、病気が全力プレーの代償であったのではと、残念がった。


人間万事塞翁が馬


 こびへつらず、あけすけな性格だが、先輩から可愛がられ後輩に慕われた西浦。ブレイクした翌年(20年)の春季キャンプの休日に、西浦は3歳上の宗佑磨に「三塁に行って、外野を空けて下さいよ」と軽口をたたいた。7年目にして三塁でレギュラーを確保した宗は、実は今季も外野手登録。宗は20年のキャンプで三塁守備も練習していたが、宗が三塁に転向し定位置をつかめば、外野手争いのライバルが減るという計算だ。

 個人事業主のプロ野球選手は、全員がライバル。先輩への軽口が許されたのは、宗との関係性の良さに加え、西浦の憎めないキャラクターのなせる業だった。

 今季、宗はケガで満足なキャンプを行えなかったが、開幕直前に一軍に合流して「2番・三塁」で定着し、いまや堅守でゴールデングラブ賞の有力候補にまで上っている。

 宗は今、「僕たちは勝たなければいけないんです。彼(西浦)の分まで一緒に戦い、優勝したい」とヒーローインタビューで語った。

 そんな先輩・宗の言葉を受け、「うるっと来た。やってくれるな、アイツと」と言ってのけるところも西浦らしい。順調にいけば、西浦も外野の一角を奪い、三塁の宗とチームを引っ張っていたことだろう。残念だ。

 恩師の馬淵監督は、西浦に電話で「人間万事塞翁が馬だよ」という言葉を送った。「これからの長い人生。何が幸いするか分からない。故障で引退したから今がある、という人生を送ってほしい」と馬淵監督。西浦からは「10月に入ればご挨拶に伺います」と返事があったそうだ。

 「僕は、これまで緊張したことがないんですよ」。西浦から聞いた言葉だ。強がりではなく、持ち前の強心臓で大舞台でも平常心でプレーし続けることが出来たのだろう。山も谷も待ち受けるこれからの人生。西浦なら平気な顔で乗り切ることだろう。


取材・文=北野正樹(きたの・まさき)

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