話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、北海道日本ハムファイターズの連敗を「13」で止めた勝利の立役者、池田隆英投手と田中正義投手の“高校・大学の同級生コンビ”にまつわるエピソードを紹介する。
今月(7月)4日以降白星がなく、13連敗中だった北海道日本ハムファイターズ。負ければ、1984年の球団ワースト記録「14連敗」に並ぶところだった26日の楽天戦、9回に決勝点が生まれる緊迫感ある展開だったからこそ、日本ハムの新庄監督は「日本シリーズ優勝したときと同じ」と興奮気味に語った。
そのドキドキの展開を演出したのは、勝利投手になった池田隆英と、セーブを挙げた田中正義。高校・大学と7年間同級生だった2人の継投リレーだった。
池田がマウンドに上がったのは2対0とリードして迎えた8回裏。しかし、先頭打者に二塁打を浴びると、連続三振で2アウトにまでこぎつけながら、鈴木大地に同点2ランを献上。この時点で悲鳴をあげた日本ハムファン、14連敗が頭をよぎった人も多かったはずだ。
それでも池田は気落ちすることなく、次打者の阿部寿樹をショートゴロに抑え、スリーアウト。すると、9回表、日本ハムは1死から松本剛、清宮の連打でチャンスメイクをすると4番・万波の内野安打で1点勝ち越しに成功。その裏を田中正義が3者凡退で締め、ほぼ3週間ぶりの勝利を手にすることができた。
結果的に「勝利投手が転がってきた」とも言える池田だが、その“勝ち運”こそ日本ハムが欲しかったもの。何せ13連敗の前半はプロ野球新(珍)記録となる「7試合連続1点差負け」。いつもあと一歩、勝利に届かなかった。連敗脱出に成功した新庄監督が試合後に池田の肩を揉んで労うほど、まさに価値のある勝利だったのだ。
そして、新庄監督同様に池田の勝ち星を喜んだのは、創価高・創価大とずっと同期だった田中正義ではないか。
振り返れば、田中が5球団競合の末にソフトバンクから1位指名を受けた2016年ドラフト会議で、楽天2位指名を勝ち取ったのが池田隆英。「同級生指名」と話題になった当時、田中は池田との関係性についてこんな言葉を残していた。
高校・大学と、池田と田中はお互いを「ライバル」として意識しあい、ケガで投げられない時期を交互に繰り返し、支え合い、切磋琢磨してきた不思議な関係性だ。
創価高校で先に「背番号1」を背負ったのは田中正義。1年夏にして背番号1を任される逸材だったが、1年冬に肩を痛め、以降は野手としてプレーすることに。代わって「背番号1」をつけたのが池田だった。
ところが、その池田も高3の夏、試合中のバント処理の際に右膝を痛めて降板。右膝前十字靭帯断裂の大ケガを負ってしまう。その試合で池田に代わって緊急登板し、勝利をもぎ取ったのが田中だった。
11年前の夏、「池田のためにも」とリリーフ時の心境を語った田中正義。今回の池田との継投リレーを重ねたくなるのは筆者だけではないはずだ。
池田はこの靭帯断裂の影響で、大学前半はリハビリの日々。代わって大学球界屈指の投手に上り詰めたのが田中であり、池田はそんな田中の背中を追って大学4年時に飛躍。ドラフト指名にこぎつけたのだ。
田中正義の実力を誰よりも認め、信じているのが池田だとわかるコメントだ。そして、ここから日本ハムが奮起する上では、この同級生コンビの活躍抜きには語れない。
13連敗を喫する直前、Aクラス入りもうかがう勢いだった当時の新庄監督は、チーム浮上のカギとして、「田中正義と池田隆英のダブルストッパー構想」を語っていた。
ダブルストッパーにせよ、同級生継投リレーにせよ、2人の出番が増えることが後半戦の日本ハムの命運を握ることになりそうだ。そして、彼らが勝利の笑顔を浮かべるほど、新庄監督がまた「もっともっと勝たせてあげたい」とチームを盛り立てる好循環が生まれるのではないだろうか。
『2006年の日本シリーズ優勝したときと同じぐらいうれしい。かわいい選手たちの姿を見て熱くなったというか、勝ちってね、大事というか。あの笑顔見たらもっともっと勝たせてあげたいなと思う』
~『スポーツ報知』2023年7月26日配信記事 より(新庄監督の言葉)
そのドキドキの展開を演出したのは、勝利投手になった池田隆英と、セーブを挙げた田中正義。高校・大学と7年間同級生だった2人の継投リレーだった。
池田がマウンドに上がったのは2対0とリードして迎えた8回裏。しかし、先頭打者に二塁打を浴びると、連続三振で2アウトにまでこぎつけながら、鈴木大地に同点2ランを献上。この時点で悲鳴をあげた日本ハムファン、14連敗が頭をよぎった人も多かったはずだ。
それでも池田は気落ちすることなく、次打者の阿部寿樹をショートゴロに抑え、スリーアウト。すると、9回表、日本ハムは1死から松本剛、清宮の連打でチャンスメイクをすると4番・万波の内野安打で1点勝ち越しに成功。その裏を田中正義が3者凡退で締め、ほぼ3週間ぶりの勝利を手にすることができた。
結果的に「勝利投手が転がってきた」とも言える池田だが、その“勝ち運”こそ日本ハムが欲しかったもの。何せ13連敗の前半はプロ野球新(珍)記録となる「7試合連続1点差負け」。いつもあと一歩、勝利に届かなかった。連敗脱出に成功した新庄監督が試合後に池田の肩を揉んで労うほど、まさに価値のある勝利だったのだ。
そして、新庄監督同様に池田の勝ち星を喜んだのは、創価高・創価大とずっと同期だった田中正義ではないか。
振り返れば、田中が5球団競合の末にソフトバンクから1位指名を受けた2016年ドラフト会議で、楽天2位指名を勝ち取ったのが池田隆英。「同級生指名」と話題になった当時、田中は池田との関係性についてこんな言葉を残していた。
『池田とは、お互いに高め合っていきたい』
~雑誌『野球太郎 No.021』(2016年11月発売)より 田中正義(大学4年時)の言葉
高校・大学と、池田と田中はお互いを「ライバル」として意識しあい、ケガで投げられない時期を交互に繰り返し、支え合い、切磋琢磨してきた不思議な関係性だ。
創価高校で先に「背番号1」を背負ったのは田中正義。1年夏にして背番号1を任される逸材だったが、1年冬に肩を痛め、以降は野手としてプレーすることに。代わって「背番号1」をつけたのが池田だった。
ところが、その池田も高3の夏、試合中のバント処理の際に右膝を痛めて降板。右膝前十字靭帯断裂の大ケガを負ってしまう。その試合で池田に代わって緊急登板し、勝利をもぎ取ったのが田中だった。
『池田のためにも負けるわけにはいかなかった』
~『スポニチアネックス』2012年7月20日配信記事より 田中正義(高校3年時)の言葉
11年前の夏、「池田のためにも」とリリーフ時の心境を語った田中正義。今回の池田との継投リレーを重ねたくなるのは筆者だけではないはずだ。
池田はこの靭帯断裂の影響で、大学前半はリハビリの日々。代わって大学球界屈指の投手に上り詰めたのが田中であり、池田はそんな田中の背中を追って大学4年時に飛躍。ドラフト指名にこぎつけたのだ。
『追い付け、追い越せ。追い越せなくても、追い越す気持ちがないと。栄養面や練習、1つ1つの意識が高くて、大ざっぱなところがないクソ真面目なところが、周りから見るとすごい憧れだった』
~『日刊スポーツ』2023年1月11日配信記事 より(池田隆英の言葉)
田中正義の実力を誰よりも認め、信じているのが池田だとわかるコメントだ。そして、ここから日本ハムが奮起する上では、この同級生コンビの活躍抜きには語れない。
13連敗を喫する直前、Aクラス入りもうかがう勢いだった当時の新庄監督は、チーム浮上のカギとして、「田中正義と池田隆英のダブルストッパー構想」を語っていた。
『池田君、めちゃめちゃいいですね。正義君が疲れたりしたときに、池田君が面白い』
~『サンスポ』2023年6月27日配信記事 より(新庄監督の言葉)
ダブルストッパーにせよ、同級生継投リレーにせよ、2人の出番が増えることが後半戦の日本ハムの命運を握ることになりそうだ。そして、彼らが勝利の笑顔を浮かべるほど、新庄監督がまた「もっともっと勝たせてあげたい」とチームを盛り立てる好循環が生まれるのではないだろうか。