11日の『ショウアップナイタープレイボール』内で、“ショウアップナイター解説者が語る優勝の舞台ウラ”が放送され、野村弘樹氏が横浜の1998年のリーグ優勝について語った。
横浜は97年、ヤクルトとの優勝争いを演じていたが、最終的には2位に終わった。野村氏は「いける、いけるとおもいながら、ヤクルトがその年優勝したんですけど、石井一久に横浜スタジアムでノーヒットノーランをされたんですよ。これで僕自身は今年厳しいなとちょっと感じてしまいました。あのノーヒットノーランは効きましたね。その悔しさがあって、ただ悔しいんだけど俺ら本気でやれるぞという1年でもあった」と振り返る。
リーグ優勝した98年には「8月に入ってからもいい戦いをしながら、9月に入ってもいい戦いをしていて、いけるぞ、いけるぞと思いながらも確信はないんですよ。9月24日の中日戦でM9が出たのが最初ですね。38年ぶりに優勝のマジックが出た瞬間から俺ら優勝できるぞと思ったのはその瞬間でしたね」と話した。
また野村氏は、「石井琢朗、波留、谷繁は1個下なんですよね。ちょうど高卒の社会人、大卒の同級生、1個下の同世代が半分くらいベンチにいた時代。油が乗ってきた状態だったので、それだけ長い年月やっているので、普通通りやれましたね」と同世代の存在も大きかったようだ。
(ニッポン放送ショウアップナイター)
横浜は97年、ヤクルトとの優勝争いを演じていたが、最終的には2位に終わった。野村氏は「いける、いけるとおもいながら、ヤクルトがその年優勝したんですけど、石井一久に横浜スタジアムでノーヒットノーランをされたんですよ。これで僕自身は今年厳しいなとちょっと感じてしまいました。あのノーヒットノーランは効きましたね。その悔しさがあって、ただ悔しいんだけど俺ら本気でやれるぞという1年でもあった」と振り返る。
リーグ優勝した98年には「8月に入ってからもいい戦いをしながら、9月に入ってもいい戦いをしていて、いけるぞ、いけるぞと思いながらも確信はないんですよ。9月24日の中日戦でM9が出たのが最初ですね。38年ぶりに優勝のマジックが出た瞬間から俺ら優勝できるぞと思ったのはその瞬間でしたね」と話した。
また野村氏は、「石井琢朗、波留、谷繁は1個下なんですよね。ちょうど高卒の社会人、大卒の同級生、1個下の同世代が半分くらいベンチにいた時代。油が乗ってきた状態だったので、それだけ長い年月やっているので、普通通りやれましたね」と同世代の存在も大きかったようだ。
(ニッポン放送ショウアップナイター)