25日の『ショウアップナイタープレイボール』内で、“ショウアップナイター解説者が語る優勝の舞台ウラ”が放送され、宮本和知氏がリーグ優勝した1989年の巨人について語った。
同年の巨人は王貞治監督から藤田元司監督が就任。斎藤雅樹、槙原寛己、桑田真澄の先発3本柱を中心に、勝ち星を積み重ねていき、2位・広島に9ゲーム差を着けて優勝した。
宮本氏は「藤田監督になりまして、藤田監督は投手出身の監督で投手の心を理解してくださる監督で、当時そんなに抑え投手を作らなかったんですね。先発すれば完投する。いわゆる3本柱がいましたよ。斎藤雅樹、桑田真澄、槙原寛己というね」と話すように、チーム防御率はリーグトップの2.56、完投数はリーグ最多の69、完封勝利は22と圧倒的な投手力を誇った。
「やっぱりこの3本柱がいると、何が起こるかといったら、連敗しないんですよ。この3人は必ず勝つという感じがある。4番目、5番目に僕みたいなのが、勢いに乗って勝っちゃったりしてね。目立たないところで、“なんだ、お前勝ってるじゃん!”、そういう感じの時代だった。藤田監督の中、先発は完投する時代でしたから、完投数は多かったと思いますね」と当時を懐かしむように振り返った。
宮本氏自身は、同年5勝7敗5完投、2完封、防御率2.73の成績。「完投は多かったですよ。僕も肘の手術明けの年だったと思うので、そんなにイニングは投げていなかった。その中で復活できた年だったので、イケイケでしたよね。最後優勝が決まった時、横浜スタジアムでしたよ。いい感じの完封でしたよ。3本柱に隠れてちゃんと成績残しているんですよ。ただ目だなかっただけ。当時は右3本いたけど、左はいなかったんですよ。だから僕も重宝されたところがあるんですよ」と話していた。
(ニッポン放送ショウアップナイター)
同年の巨人は王貞治監督から藤田元司監督が就任。斎藤雅樹、槙原寛己、桑田真澄の先発3本柱を中心に、勝ち星を積み重ねていき、2位・広島に9ゲーム差を着けて優勝した。
宮本氏は「藤田監督になりまして、藤田監督は投手出身の監督で投手の心を理解してくださる監督で、当時そんなに抑え投手を作らなかったんですね。先発すれば完投する。いわゆる3本柱がいましたよ。斎藤雅樹、桑田真澄、槙原寛己というね」と話すように、チーム防御率はリーグトップの2.56、完投数はリーグ最多の69、完封勝利は22と圧倒的な投手力を誇った。
「やっぱりこの3本柱がいると、何が起こるかといったら、連敗しないんですよ。この3人は必ず勝つという感じがある。4番目、5番目に僕みたいなのが、勢いに乗って勝っちゃったりしてね。目立たないところで、“なんだ、お前勝ってるじゃん!”、そういう感じの時代だった。藤田監督の中、先発は完投する時代でしたから、完投数は多かったと思いますね」と当時を懐かしむように振り返った。
宮本氏自身は、同年5勝7敗5完投、2完封、防御率2.73の成績。「完投は多かったですよ。僕も肘の手術明けの年だったと思うので、そんなにイニングは投げていなかった。その中で復活できた年だったので、イケイケでしたよね。最後優勝が決まった時、横浜スタジアムでしたよ。いい感じの完封でしたよ。3本柱に隠れてちゃんと成績残しているんですよ。ただ目だなかっただけ。当時は右3本いたけど、左はいなかったんですよ。だから僕も重宝されたところがあるんですよ」と話していた。
(ニッポン放送ショウアップナイター)