- BASEBALL KING
- ショウアップナイター
- 清水久嗣アナ、07年9月12日のショウアップナイター初実況は「メモリアルというよりも」…「ゴールのない野球実況という道のチェックポイント」と話したワケ
清水久嗣アナ、07年9月12日のショウアップナイター初実況は「メモリアルというよりも」…「ゴールのない野球実況という道のチェックポイント」と話したワケ

◆ いつでもみんなのプロ野球!実況アナルームのテーマは“初実況”
「(2007年)4月から球場での実況練習の日々、諸先輩方に温かくも厳しく指導していただきました。覚えているのは『打った!“これは”セカンドゴロ』、『打ちました!“これはレフトフライ”』など“これ”というフレーズが自分の中で抜けなくて、先輩の横で直したくても何度も直せず悔しい思いをしていましたね。そのほかにも喋りのクセがついていることを思い知らされて「こんなはずじゃない」ともどかしい日々が続きました」。
ニッポン放送ショウアップナイターで実況を務める清水久嗣アナウンサーは、2007年6月の秋田の試合でショウアップナイターのレポーターデビューし、フレッシュオールスターのレポーターを経て、同年の9月12日、当時のグッドウィルドーム(現ベルーナドーム)の西武-ソフトバンク(KBC九州朝日放送)のKBCホークスナイターで実況デビューを果たした。解説は川崎憲次郎さん、リポーターは宮田統樹アナウンサーだったそうだ。
「実況を担当することが決まってからは、先輩の野球実況をMDに録音してなんどもなんども聴き返し前日は夜まで資料を作っていたことは覚えているのですが、当時のことやその後のことはあまり覚えていません。そこで、クローズドSNSに当時の自分の日記を見つけました」。
「前日はなぜか眠れなくて、朝方に就寝。寝床でも解説の川崎さんとの掛け合いを何十パターンと想像。あくまで想像。さらに球場での取材は地に足が着いていない感じで。目はキョロキョロ。心ここにあらず」。
「そして肝心の実況は、最初は流れに乗れない部分もありましたが無我夢中で3時間。実はほとんど覚えていません…。放送終了の瞬間は何とも言えぬ脱力感というか、立ち上がると足元もふらつく」。
「そこでふと浮かんだのが、ラジオの世界のある先輩に頂いた言葉『言葉を使う仕事は本当に重大さ、深さと責任がある仕事。そして『声』という自分の肉体と精神から出るものを使ってする仕事だから自分の人生を投じるような気持ちでするものなんじゃないかなあ』。放送後怒られたという記憶こそないものの辛くて苦しかったうまく行かなかったという感情と周りの方が意識して声をかけてくださったり、気を遣ってくれたことも覚えています」。
「いまでも音声データは自分のパソコンに入っていて、恐る恐る久々に聞き返してみました。よくこんなに舌が回るなというほどの早口で、良くも悪くも一生懸命喋っていますね。声とかは変わっていないと思うのですが、とにかく必死で。川崎憲次郎さんに聞くことを必死に探しながら・考えながら・野球の動き・放送のテンポに流されないよう流されないよう手を掻き足をばたつかせて泳ぐように、実況していたなぁという印象です」。
「実況練習で先輩方に教えていただいたことを確認しながら実況する余裕なんてなかったように聴こえますし、朝まで調べた資料についてもほとんど言及なし。今だから笑えますが、試合を追いかけていただけで聴いている方にはとても不親切な実況だったなぁと反省だらけです」。
◆ 試行錯誤の期間
実況デビューを果たしたが、次のステップに踏む期間が辛かったという。
「デビュー前よりも厳しく先輩アナウンサー、先輩ディレクターの皆さんにいろいろご指導いただきながら3歩進んで2歩下がる、1歩進んで5歩下がることを繰り返す日々。ときには自分の能力やセンスを信じられなくなって、取材の仕方、資料の作り方も毎回何かしらの積み重ねをして、日々もがいてました」
2007年はシーズン最終戦のロッテ-楽天をTBC東北放送向けに実況してシーズン終了。2008年は山形のフレッシュオールスターを一人で喋り、そして3年後の2010年に始めて全国ネットのヤクルト-楽天戦で実況を行った。
「巨人戦を実況するのはさらにその後のことです。もがいていた時期を忘れないために節目節目の実況資料はとってありますけど、今振り返ると時間をかけた割にはあまりにも心許ない資料で、当時の必死さが伝わってきますね(笑)」。
「そして実況も試行錯誤を繰り返して少しずつ周りが見えるようになったり、解説者のやり取りも広がったり、テンポや描写もバリーエーションが増えていったのは実感できて、実況担当する試合が増えていきました」。
「やっぱりショウアップナイターといえば全国ネットの東京ドームの巨人戦のイメージ。個人的にはメジャーリーグよりも国際大会よりも神聖な場所として感じています。実況デビューしてから巨人戦を初めて担当するまで5年以上かかりましたし、今実況をさせていただける状況はあたりまえじゃないと、身を引き締めさせてくれる特別な場所・カードです」。
「自分にとって初実況の2007年9月12日はメモリアルというよりも、ゴールのない野球実況という道のチェックポイントにすぎなかったと思います。下手だったからこそ必死で取り組んで少しずつ前に進めました。とにかく必死。伝わっているかわかりませんがいまでも必死ですよ」。
(ニッポン放送ショウアップナイター)