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ショウアップナイター

ニッポン放送・宮田統樹アナ「楠安夫さん、服部受弘さんが解説者でいましたね」。初実況当時は「奥さんが僕の実況を聴いて全然安心していなかった」

ニッポン放送ショウアップナイターで実況を務める宮田統樹アナ

◆ いつでもみんなのプロ野球!実況アナルームのテーマは“初実況”

 「あの頃は今よりもっと前の世代で僕よりも年上の人。例えばね、山根俊英さん、児玉利一さん、それから楠安夫さん、服部受弘さんが解説者でいましたね」。

 83歳のニッポン放送・宮田統樹アナウンサーが、懐かしむように当時の解説者の名前を挙げた。1964年、東京五輪が開催された年に入社した宮田アナは実況デビューまで10年近く下積みを送った。

 「スポーツダイアリーというスポーツ番組があって、あの頃は火、木、土の週3日くらいのナイター中継で、ナイター中継がない時に僕らは、他の球場に行って練習ができるわけ。例えば後楽園球場で巨人戦が本番だと、本番カードは先輩が行って、僕は川崎球場で大洋-広島、ガラガラのスタンドで喋っていましたね。それを本社で録音して、その日のスポーツニュースのダイジェストに使うのをやっていた。それが勉強の場所でもあったね」。

 「あとはスポーツニュースを22時半から生放送でやるんだよね。入社5年目、6年目くらいかな、金田さんが400勝を達成した日は、僕が夜会社にいたら、スポーツニュースダイアリーのスタンバイだと思うんだよね。“後楽園球場で金田正一が投げている、今日勝つと400勝だぞ!”と言われて、慌てて後楽園球場に行って喋って、金田投手が勝って勝利投手になって“400勝、400勝なる、400勝なる”、“400勝達成、400勝達成”、“金田嬉しそう、金田嬉しそう”と今思えば、もっと言いたいことがいっぱいあるだろうに。長嶋、王だって守っていたんだろうとか思うんだけど、そこまで当時は気が回らなかったね」。

 1969年10月10日に金田正一の通算400勝達成の瞬間に立ちあった。入社から10年近くが経った1970年代の神宮球場で行われたヤクルト-中日戦で実況デビューを飾った。

 「野球知識が全然ないと言えばないのでね。(解説者に)聞くことも全然なくて、隣の先輩のディレクターに、その日寒いから解説者が風邪引いちゃうよと言われてショックを受けてね。今でも解説者と絡むのは得手ではないんだけど、錚々たるメンバーの解説者の中で、解説者にいろいろ話を聞かないといけない。その中で風邪ひいちゃうよと言われたのを覚えていますね。また、そこから野球の勉強をしないといけないんだなというのを痛感しましたね」。

「僕は気が小さくて、メンタルが弱いからドキドキしてたね。奥さんが僕の実況を聴いて全然安心していなかった。しばらくして、安心して聴けるようになったんだけど、最初は安心して聴ける、その一言ばっかりだった。安心して聴ければ、普通に喋っているのと同じだから、そういうのを思い出しましたね」。

 初実況から50年以上が経ち、当時自身が思い描いていた実況アナウンサーになれたのだろうかーー。

 「今は実況に忠実にやっていこうと思っているんですけど、そうこうしているうちに目が悪くなって、語感がちょっと衰えてきたかな。今年限りかなと思いながら、毎年やっているんだけど、今年こそは、と思ってもうこれ以上はちょっと続けるのは迷惑もかけるし、体の自信もない。そういうことで送りの実況に専念して忠実に送っているつもりでやっています」。

 その中で、宮田アナの生きがいはベルーナドームで西武戦を実況している時だ。

 「今年は西武が強い。西武の優勝で幕を閉じたいなと。いろいろ西武にお世話になったりしましたから、西武が優勝して僕も実況アナウンサーの幕を閉じたいと思っています。そういう意味でもベルーナドームで良い試合が観れると嬉しいですね。大差になるとつまらないんだけど、競ったゲームを実況するのは思わず引き込まれて、疲れも忘れるしね」。

 長い下積みを経て実況デビューを飾り、83歳となった今でも球場で実況をするレジェンドアナウンサー。西武が優勝する瞬間を実況することを目標に、今を過ごしている。

(ニッポン放送ショウアップナイター)

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