コラム

若かりしイチローと一緒にプレーした『オリックス黄金時代』の選手たち

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オリックス時代の愛弟子たちとシアトルで再会した故・仰木彬氏 [Getty Images]

“俺たちの時代”80~90年代のプロ野球を語り尽くそう -90年代オリックス黄金時代選手編-

イチロー ,


 海の向こうのメジャーリーグでは、日米通算でプロ24年目を迎えるイチローがマイアミ・マーリンズへ移籍。今年42歳となる“偉人”の新天地での輝きに期待が膨らむ。

 そこで、そんなイチローの日本時代に思いを馳せるべく、1990年代のオリックスに着目し、イチローと関係の深かった選手をランキングとして厳選した。

田口壮 ,

攻守ともコンビを組んでチームをリードした田口 長谷川はマリナーズでもチームメイトに


 まず、第1位としては、やはり元メジャーリーガーでもある田口壮の名を挙げておきたい。オリックス時代には、イチローとほぼ同時期にデビュー。当初は内野手として期待されたが、極度のイップスに見舞われたため外野に転向。1995~1996年にパ・リーグ2連覇を果たしたときには、センター田口、ライトにイチロー、レフトには本西厚博と並ぶ外野陣が「史上最強の外野」と呼ばれる程だった。

 とはいえ、実を言うと、当時のオリックスは仰木彬監督による「シーズンに1度たりとも同じ組み合わせがない」と言われたほどの“猫の目オーダー”だった。そのため、上記の外野布陣も固定されていたわけではなく、外野には強打者だった藤井康雄や高橋智が入ることも。また、それに合わせてイチローや田口がセンターに入ることも多く、本西に至ってはサードを守ることすらあったほどだ。田口も、外野転向後にセカンドを守るなど、かなり守備位置が動いていたことを付け加えておきたい。

 次に第2位は投手から長谷川滋利を選んだ。オリックスパ・リーグ連覇の際にも1995年に先発で12勝を挙げるなど活躍したが、メジャーリーグへの憧れが強く、イチローより一足早く1997年にアナハイム・エンゼルスへ移籍。当初は苦労したが、中継ぎに活路を見出してメジャーに定着すると、2002年には前年すでにイチローが入団して活躍していたマリナーズへ移籍。再びチームメイトとしてプレーしている。

長谷川滋利 ,

中嶋はイチローよりも長く現役を継続 パンチ佐藤は元野球選手である!


 続いて、第3位はちょっと趣向を凝らした人選として中嶋聡(現日本ハム)とした。イチローもすごいが、この人も実はすごい! コーチ兼任とはいえまだ現役。しかも、プロ入りは1987年と、オリックスがまだ阪急ブレーブスだった時代まださかのぼる。往年のアンダースロー・山田久志ともバッテリーを組んだ経験がある。山田氏の著作などを読むと大人と子どものような年齢差があり、当時は鉄砲肩だけが頼りだった中嶋は、配球についても山田に「任せます」と一任していたという。

 ちなみに、イチローがプレーしていたときは、高田誠や三輪隆と併用ながら、レギュラー捕手として活躍している。そこから、1997年にFA宣言をしてメジャーを目指したものの空振りとなり、西武、横浜、日本ハムと渡り歩き現在に至るわけだが、果たしていつまで現役を続けるのか? ここ6年は数試合程度の出場に留まっているが、コーチであり、いざとなれば“第3の捕手”として控える存在は、現場にとっては我々の思う以上に貴重なのかもしれない。

 今回は番外として、パンチ佐藤の存在を念押ししておこうと思う。今となっては元プロ野球選手であったことを知っている人はだいぶ少なくなっただろうが、この人も立派なドラフト1位選手である!

 入団直後から「(初のキャンプ直前の心境を問われて)マラソンにたとえると、今ロサ・モタが手首足首を回しているところですね」と答えるなど、ひょうきんな言動の方が先行してしまったが、シュアで勝負強い打撃を武器に主に代打で活躍した。

 この「パンチ」というネーミングを登録名としたのは、実は「イチロー」が鈴木一朗から登録名を変えたのと一緒である。むしろ、当初は「佐藤が愛称から『パンチ』なのはわかるけど、『イチロー』って鈴木の名前でしょ? これって……普通じゃん!」と筆者は仲間うちで話していた記憶がある。むしろ、パンチのついでにイチローも誕生したように思えてならなかった。それが、今となってはこのような“偉人”になるとは誰が想像できただろうか? 兄弟子にあたる(?)パンチ佐藤氏の今後の活躍にも期待している。

文=キビタキビオ(きびた・きびお)
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