

猛牛ストーリー【第40回:T-岡田】
リーグ連覇を達成し、昨年果たせなかった日本一を目指す今季のオリックス。監督・コーチ、選手、スタッフらの思いを「猛牛ストーリー」として随時紹介していきます。
第40回は、プロ17年目のベテラン・T-岡田選手(34)です。
今季はケガや新型コロナウイルス感染といったアクシデントに見舞われ、36試合の出場に留まった“浪速の轟砲”。リーグ連覇に大きな貢献はできませんでしたが、持ち前の長打力は相手チームにとって大きな脅威です。
22日からヤクルトの本拠地・神宮球場ではじまる『SMBC日本シリーズ2022』を前に、「チームの力になりたい」と静かな闘志を燃やしています。
「練習と実戦では違います」
チームが優勝後2度目の全体練習を京セラドーム大阪で行っていた10月6日。背番号55の姿は、二軍の本拠地である大阪市此花区の舞洲にあった。
前オリックス監督で、現在は福井ネクサスエレファンツの球団会長を務めている西村徳文氏が率いる「日本海オセアンリーグ選抜」とのプロアマ交流戦。優勝を決めた10月2日の楽天戦に出場選手として登録されていた31人のうち、このプロアマ交流戦にスタメン出場したのは太田椋とT-岡田の2人だけだった。
「相手のレベルは落ちるかもしれませんが、練習と実戦では違います。自分が打席でどのように反応するのかとか、修正したいところもあったので、舞洲に来ました」と理由を説明したT-岡田。
1打席目から背中に死球を受けるアクシデントもあったが、二死一塁の4打席目では中前打を放った。
この試合では、オセアン選抜で背番号55の「T-若杉」(富山GRNサンダーバーズ/一塁手)と、“本家”の55番「T-岡田」が一塁の塁上で並び、中継映像を見たファンの間で話題になる場面もあった。
オセアン選抜にはドラフト候補もいたが、クライマックスシリーズを控えた主力級が出場するのは極めて異例。それだけ、生きた球を見て、実戦で打撃の感覚を磨きたかったのだろう。
「逃げ道は作りたくない」
ケガに泣かされた1年だった。
5年ぶりの全試合出場と、100打点を目標に挙げて臨んだ17シーズン目の今季。一昨年のオフは、外野守備が多くなることを予測して、体を絞るために断食を敢行。昨オフはイチローらが始めたことでも知られる初動負荷トレーニングを導入した。
体幹がしっかりとすることで可動域が広がり、苦しんで来た腰痛にも効果があるそうで、「動き出すまでの時間が短くなってきた。股関節周りが改善されパフォーマンスアップにつながっている」と話していたが、3月18日のオープン戦で右ふくらはぎを痛め、筋損傷で戦線離脱した。
今季初登録された5月29日の交流戦・中日戦では1号ソロを含む2安打3打点と存在感を示したが、コンディション不良などで7月14日に出場選手登録を抹消。二軍で調整していた8月18日には、コロナ感染が球団から発表された。
再び一軍に昇格したのは、9月初旬のこと。結局、出場できたのは36試合。打率.149、1本塁打で10打点に終わってしまった。
コロナ感染がなければ、復帰の時期はもっと早く、チームの勝利にももっと貢献できたのかもしれない。
ところが、本人は「コロナで復帰プランが狂ったわけでもありません。他の人も条件は同じ。そのせいにしたり、言い訳したりすれば成長することは出来ないし、逃げ道は作りたくないんです」と、静かな口調で言い切る。復調への不退転の決意を感じさせる言葉だった。
勝負どころでの一打に期待
苦しいことの多かったシーズンで、うれしいこともあった。
野球を始めるきっかけを作ってくれた少年野球「山田西リトルウルフ」(大阪府吹田市)の指導者・棚原安子さん(82)が、京セラドーム大阪での始球式に登板。打席に立って、小学6年生以来、約20年ぶりに“対決”することができた。
勝利よりも礼儀正しく友情を大切にし、野球の楽しさも学ぶというチーム方針。約1200人の教え子のうち、プロ野球選手になったのはT-岡田だけ。
「私の宝物。1年でも長く現役を続けてほしい」という棚原さんに、T-岡田は「お元気そうでよかったです。また、頑張ろうという気持ちがわきました」と、パワーをもらったという。
2010年の本塁打王。今年同様、最終戦まで優勝争いを繰り広げた昨季は、終盤のロッテ戦で9回二死から起死回生の逆転3ランを放つなど、ファンが「Tさん」に求めるのは、勝負所での長打力だ。
「チャンスがあれば、何とかチームの力になりたい」
チームがリーグ優勝、そしてクライマックスシリーズを勝ち抜き、再び日本シリーズの舞台に立つことが出来たことに感謝をしつつ、無心でバットを振る覚悟だ。
取材・文=北野正樹(きたの・まさき)