

猛牛ストーリー【第60回:宇田川優希】
2023年シーズンはリーグ3連覇、そして2年連続の日本一を目指すオリックス。今年も監督・コーチ、選手、スタッフらの思いを「猛牛ストーリー」として随時紹介していきます。
第60回は、昨年7月末に支配下登録され、豪速球とフォークボールを武器に3カ月後にはセットアッパーとして日本シリーズで快投。3月開催のWBCに挑む日本代表にも選ばれた宇田川優希投手(25)です。
キャンプイン早々に中嶋聡監督から「調整不足」を指摘され減量に取り組む一方、WBC使用球を意識するあまりフォームを崩し、本来の投球を見失っていた右腕。ブルペンでも精彩を欠きましたが、12日にフォームを取り戻すことに成功。「ボールを気にせず腕が振れました」と笑顔が戻りました。
第4クールが始まる14日には紅白戦も実施される予定。指揮官の不安を一掃し、17日からはじまるWBC合宿に臨みます。
「よくなる確証があったわけではありませんでした」
ブルペンで見守る厚澤和幸投手コーチが「いいぞ」とばかりに両手を叩くほどの、強いストレートがミットに吸い込まれた。
12日午後のブルペン。自主練習で投じた27球は、フォームを確認しながら7~8割の出力だったが、「これまで捕手から『直球は弱い』と言われていましたが、今日は『強い』と言ってもらえました。今まで悪かったブルペンでの投球が良くなったので、紅白戦が楽しみです」と声を弾ませた。
悩み抜いた12日間だった。
初ブルペンとなったキャンプ2日目。WBC組の山本由伸、宮城大弥に挟まれる形での投球練習。投球内容がしっくりと来なかったのは、昨年のキャンプでは考えられない自分の立場に改めて驚く気持ちだけではなかった。
その夜、宿泊先ホテルの食事会場で中嶋監督から「なんだ(あの投球は)、大丈夫か」と笑いながら声を掛けられ、「3日あれば大丈夫です」と返した。
160キロに迫る重いストレートとフォークボールで攻める宇田川らしい強気の言葉だが、「よくなる確証があったわけではありませんでした」と、今になって明かす。
すべての原因は、WBC球で指先の感覚がつかめないことにあった。
さらにWBC球を意識するあまり、上半身と下半身のバランスが崩れてしまった。山本から「上がいいのは、下(半身)がいいから」とアドバイスを受け、下半身を意識して投げると上下のバランスも取れるようになったが、良い状態は長続きしなかった。
厳しいメッセージを発信した指揮官の想い
この間、中嶋監督の厳しい言葉を、メディアを通して知る。
第1クール最終日の5日、WBC組について問われた指揮官は「山本と宮城はしっかりと投げているとは思いますが、宇田川の方は全然ですけどね。ボール自体(の問題)じゃないでしょ。調整不足じゃないですか。全く出来上がっている状態には見えないし、いい状態ではないですね」。
さらに、体が大きくなっていることなどについては「誰が見てもそう思うでしょ。どういうオフを過ごしてきたか分からないですけど。そういうところ(日本代表)に入っている自覚があるのか、ないのか。そういう準備が出来ているのか、出来ていないのか、そこが甘さだと思います。はっきり言って、今のままじゃ使い物にならないんじゃないですか」と続けた。
体重は見た目にもややオーバー気味だったが、オフの期間に手を抜いてきたわけではない。
ある球団関係者は、宇田川の現状について「キャパが追い付いていません。決してサボっているわけではなく、どのように仕上げていけばいいのかが分からないのではないでしょうか」という。
注目を集めることの少ない育成から支配下に昇格し、7カ月後には一気に日本代表にまで上りつめるという急激な環境の変化についていけていないのでは、というわけだ。
宇田川自身も「体重は多少増えても、動ける状態です」とそれほど気にしていないようだったが、全体練習の前後にバイクを漕ぐなどのメニューで汗を流し、食事の量を減らしてお菓子を手にすることもなくなったことで、減量面はクリアした。
中嶋監督が、メディアを通して選手にメッセージを送ることは極めて珍しい。
選手本人には笑顔で冗談を交えて話す場面が多いそうで、宇田川も厳しい口調で言われたことはなく、「自分でもいろいろ悩んでいて、監督さんの言う通りやなと思いました」とショックは受けなかったそうだ。
指揮官の宇田川への思いは、第2クール最終日の8日に分かった。
「難しいな。分かんないですね、ホントに。そこまで繊細な感じの投手ではないんで。ただ、全体的に仕上がっていない部分を急仕上げして出力を上げて無理をした時に、ケガにつながるということだけは本人に分かってほしいんです」と報道陣の問いに答えた。
また、「途中でいなくなって、こっちが見ることが出来なくなるんで」と続け、宇田川を知るスタッフで侍ジャパンへの合流までにWBC球に慣れるよう調整を進める必要性を強調した。
“チーム宇田川”の大仕事
転機が訪れたのは11日のこと。WBC球を使ったブルペンでの自主練習で制球がままならず、たまりかねた厚澤コーチが途中から3球ごとにNPB球と交換した。
NPB球で迷いなく昨季のフォームで投げられることに着目し、WBC球でも同じフォームで投げられるようにする荒療治。
「WBC球が指に掛かる感覚以前に、昨年のフォームに戻っていません。NPB球なら気持ちよく腕が振れているのに。キャプテン翼じゃないですが、ボールと友達になれていないんです」と厚澤コーチ。
この日は小林宏二軍監督や、中垣巡回ヘッドコーチらも投球を見守り、WBC球の握りを深くするようにアドバイスを送るなど、指導陣の“チーム宇田川”による修正が続けられた。
そして12日。体重移動や投球のタイミングを養う練習直後に入ったブルペンで、別人のような投球を見せつけた。
「中垣さんと厚澤コーチが、映像から上半身は縦回転なのに下半身は横回転だと気付いてくれて。僕は腕を上から投げ下ろすタイプなんですけれど、下半身が横回転だったのでバランスが合わずにタイミングがずれていました。上も下も縦回転にしたら、僕のリリースポイントまで持ってこられるようになって、WBCのボールを気にせず腕が振れるようになったんです」
ようやく野球の話で明るい表情が戻った宇田川だが、いつも笑顔がこぼれるのは、愛猫「ココちゃん」の話になった時だ。
夏の大会が終わった高校3年の9月。下校時に立ち寄った量販店の駐輪場に自転車を止めようとしたら、子猫が近寄って来た。
触って遊んでいるうちに、「急に飼いたくなった」という。口の周りとお腹が白で、茶と黒の三毛猫。動物を飼ったことはなかったが、愛おしくなったそうだ。
自宅まで約10分。自転車の前かごに子猫を乗せ、振動で驚かせないようにゆっくりとペダルをこいだという。
大学の寮生活中にココが2匹の子猫を産み、後に預かった猫を含めると4匹の大所帯。帰省すると、ココは家族の誰よりも宇田川になつくそうだ。
心優しい宇田川にとって、14日の紅白戦は首脳陣の不安を一掃するとともに、世界の舞台で躍動するための試金石になる。
取材・文=北野正樹(きたの・まさき)