コラム 2023.03.27. 06:44

オリックスから世界に挑んだもう一人の侍 厚澤和幸コーチがダルビッシュを「先生」と呼び、宇田川に「感謝」した理由

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ダルビッシュと宇田川の貢献に感謝する厚澤和幸コーチ [写真=北野正樹]

猛牛ストーリー【第66回:厚澤和幸投手コーチ】


 2023年シーズンはリーグ3連覇、そして2年連続の日本一を目指すオリックス。今年も監督・コーチ、選手、スタッフらの思いを「猛牛ストーリー」として随時紹介していきます。


 第66回は、オリックスから侍ジャパンに派遣された厚澤和幸投手コーチ(50)です。第5回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)ではブルペンを担当し、14年ぶりの世界一に貢献しました。

 チーム最年長で、メジャー組としてただ一人、宮崎での強化合宿から参加してまとめ役に徹したダルビッシュ有投手(パドレス)を「先生」と呼んで称え、アメリカでの準決勝と決勝で登板機会のなかった宇田川優希投手には、帰国会見で「一番ブルペンのバックアップに回ってくれ、陰で支えてもらった」と感謝の気持ちを表しました。

 世界一と絶賛された投手陣を吉井理人コーチとともに率いた厚澤コーチの、その言葉の意味は?


「あの舞台に立たせてあげたい気持ちは十分あったのですが……」


 「若い投手が準決勝以上、バリバリのメジャーリーガーに向かっていく姿は本当に頼もしい限りでした。ただ一つの心残りは、あの『宇田川ジャパン』の宇田川をマウンドに上げることが出来なかったこと。(宇田川会の)会長がマウンドで飛躍するところをお披露目することが出来なかったのですが、今回ブルペンで一番、バックアップに回ってくれたのが宇田川でした。ゲームではないところで、陰で支えてもらい、本当に彼には感謝したいと思います」

 3月23日、帰国後に開かれた記者会見での厚澤コーチの言葉だ。


 この会見では、一塁ベースコーチを務めた清水雅治外野守備走塁コーチが、準々決勝・イタリア戦での岡本和真(巨人)の二盗失敗について、「エンドランだと僕が大うそを教えてしまいました。本当に申し訳ございません」と、自身の伝達ミスを明らかにして岡本に謝罪する場面があった。厚澤コーチの言葉も、首脳陣と選手らの信頼関係の深さや結束力の強さをうかがわせるものだった。

 「宇田川を預かっている身としては、あの(準決勝、決勝の)舞台に立たせてあげたい気持ちは十分あったのですが。絶対、あのマウンドに立つという志を持ってくれたら、きっと3年後にはプラスに生きてくれるはずです」

 チームに合流した直後、厚澤コーチは静かな口調で振り返った。


「宇田川にしか出来ない」役割


 今回の侍ジャパンのメンバーで、投手は15人。山本由伸(オリックス)が中継ぎに回り、ダルビッシュや大谷翔平(エンジェルス)もセットアッパー、抑えで起用される場面もあったが、「回の途中から行くのは宇田川、伊藤大海(日本ハム)、湯浅京己(阪神)の3人と決めていました。そういうように役割を決めないと、ブルペンが混乱してしまいますので」。

 先発・今永昇太(DeNA)から戸郷翔征(巨人)、髙橋宏斗(中日)、伊藤大海、大勢(巨人)、ダルビッシュ、大谷と7人の豪華リレーとなった決勝のアメリカ戦。

 「伊藤は6回から行くのが決まっていて、湯浅はダルビッシュと大谷のバックアップに付きます。そうなると残っているのが宇田川一人になってしまうので、宇田川には伊藤が投げるまでの5回を全部、バックアップについてもらったのです」と、投手起用の舞台裏を明かした厚澤コーチ。そこには、宇田川に対する信頼の強さが込められていた。


 「あれだけの投手がいるのに、宇田川一人にやらせて、と思われるかもしれませんが、走者を置いて(ピンチの場面は)宇田川にしか出来ないんです。去年、少ないですが経験を積んだ宇田川を信頼していました」

 実際、宇田川には何度も登板の可能性があり、そのたびに準備をしたという。

 しかし、マウンドの投手が後続を抑えたり、併殺で切り抜けたりしたことで、出番はやってこなかった。会見での感謝の言葉には、最高の舞台のマウンドに上がることが出来なかった宇田川の悔しさを晴らすとともに、応援してくれた全国のファンに、宇田川の表に出ることのなかった貢献を伝えたい思いが込められていたのだ。


「先生」ダルビッシュの姿勢


 その宇田川の能力を最大限、引き出すお膳立てをしてくれたのが、ダルビッシュ。

 「宇田川さんを囲む会に参加させていただきました! 宇田川さん、ごちそうさまでした!」

 宮崎合宿初めての休養日となった2月20日、投手全員で実施した食事会についてSNSにあげたダルビッシュ。「投手会」は「宇田川会」に変わり、一気に宇田川の名前が知れ渡った。

 シャイで人前に出るのが苦手。合宿入り前のオリックスキャンプでは、体重増加やWBC球への対応に苦悩する宇田川の姿があったが、ダルビッシュが仲間の中心に迎え入れたてくれたことで、不安な気持ちのまま合流した宇田川が侍ジャパンに馴染むきっかけを作ってくれた。


 「うちの宇田川は人見知りなんで、お願いするね」。宮崎合宿で顔を合わせた厚澤コーチは、一番にダルビッシュに声を掛けたという。

 「わかりました、と言ってくれて、あのやり方で和ませてくれたダルビッシュには感謝していますね、僕は。(宇田川を)一気に輪の中に入れてくれたじゃないですか。ありがたかったですね」


 厚澤コーチは埼玉県浦和市(現・さいたま市)出身。県立大宮工業高から国士舘大を経て、1995年にドラフト2位で日本ハム入り。現役引退後は2004年から10年まで日本ハムで投手コーチを務め、ダルビッシュを指導してきた。

 「日本ハムの時のダルビッシュは、エネルギッシュで、これぞプロ野球選手っていうね」

 若い時代を知る厚澤コーチは、今回の大会中、ダルビッシュを「先生」と呼んでいたという。

 「みんなに接する姿が、先生に見えたんです。タイミングの取り方や距離感なんかが、ほんとに良い感じで。コーチが(選手のことを先生と)いうのもおかしいのですが。練習に臨む姿勢や取り組みという、言葉でないところでも見せてくれました。いい先生に見えましたね」


 驚かされたのは、食事会場でのダルビッシュの姿。誰がどのようなメニューを選ぶのか、量をどのくらい摂るのかなどを観察。さらには、選手に食事に対する考えを聞いていたという。

 「自分自身も何か新しいものはないのか、とまだその先を行こうとする姿勢を見せるダルビッシュは凄かったですね」

 栗山英樹監督は帰国後のテレビ出演の際、ダルビッシュについて「今大会、調子はよくなかったんです。あまりにもみんなの練習に付き合って、決勝戦の前もアメリカの打者の特徴を全部教えてくれるなど、チームに貢献してくれた。自分の調整が出来なくて苦しかったよね、勘弁してくれ、と謝りました」と明かした。

 厚澤コーチも「自身も、年齢も年齢で、結構前倒しでWBCに合わせて準備をする中で、チームをまとめていくことに時間をだいぶ使ったと思います。若い選手が多い投手陣をよくまとめてくれました」と感謝した。

 日本中に感動と勇気を与えてくれた侍ジャパン。それぞれの思いを3年後の大会に紡いでいく。


取材・文=北野正樹(きたの・まさき)


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