30歳でレギュラー定着した男の2000本安打
和田一浩の現役生活を語る上で、忘れられないシーンがある。西武に所属していた2004年の日本シリーズ第1戦。中日のエース・川上憲伸が投じたインコースのシュートをレフトスタンドに運んだ先制ホームランだ。見逃せば体に当たりそうなボール球に対して、下半身を開き、ヒジを畳みながら体を瞬時に回転させて捉える。なぜ、こんなボールをホームランにできるのか? とても人間業とは思えない……と衝撃を受けたホームランだった。
高校、大学、社会人を経てプロ入りした選手の中で通算2000本安打を達成したのは、古田敦也(元ヤクルト)、宮本慎也(元ヤクルト)、そして和田の3人しかいない。しかも、和田が初めて規定打席に到達したのはプロ入り6年目の2002年。30歳になって初めてレギュラーに定着した男が2000本安打に到達したというのは、もはや奇跡と言うべきだろう。
和田には、自身の野球人生を変えた3人の師匠がいる。1人目は入団当時の打撃コーチだった土井正博氏。和田の特徴的なオープンスタンスは、体が早めに開いてしまう悪癖を矯正するために土井氏が提案したものだった。この修正によって、軸足にしっかりと体重が乗せられるようになり、正面に顔を向けて構えることでボールが見やすくなるという副産物ももたらされた。
そして2人目は名打撃コーチとして知られる金森栄治氏(現・金沢学院東高監督)。金森氏から「ポイントをもっと捕手寄りにすればもっと打てる」というアドバイスを受け、投球を手元まで呼び込んで捉える技術を磨いた。2004年の日本シリーズで見せた一発は、まさに真骨頂だった。
憧れの師のもとでプレーできる喜び
3人目はもちろん、落合博満氏(現・中日GM)だ。岐阜県出身の和田は幼少時代から中日ファンで、当時中日の主軸を打っていた落合氏の打撃フォームをよくマネしていたという。そんな天上人が指揮官を務めるチームに、フリーエージェント宣言の末に移籍したのは2008年のことだった。
ちょうどその頃、和田のインタビュー取材に雑誌編集者として同行したことがある。和田はその時点で36歳。すでにシーズン打率3割以上を5回も経験していた大打者だったが、現状に満足することなく、常によりよい打撃を追求していることが伝わってきた。落合氏について「僕の固定観念をぶちこわすようなヒントをさりげなく与えてくれる」と語るその口ぶりからは、憧れの師匠のもとでプレーができる喜びにあふれていた。
あれから7年が経ち、和田は落合氏から来年の契約を結ばないことを告げられる。和田の今季打率は.298。現役最終打席を迎えた時点では3割をマークしていた。それでも、落合氏には、愛弟子の打撃が「潮時」と感じられたのだろう。超一流のバッター同士の以心伝心があったのか、和田はバットを置くことを決意した。
1968試合、2050安打、319本塁打、1081打点、通算打率.303。残した成績はもちろん偉大だが、和田の珠玉の打撃技術もまた、野球ファンの記憶に残り続けることだろう。「3人目の恩師」と同じように。
文=菊地高弘(きくち・たかひろ)