わざわざ寒い土地でキャンプ…? ネタに事欠かなかった南海時代
ソフトバンクは、宮崎県宮崎市内でキャンプを張る。
かつて宮崎キャンプといえば巨人だったのだが、今では巨人人気も落ち着きを見せ、福岡を本拠地としているソフトバンクがやや優勢。宮崎駅前からは無料のキャンプ地巡りバスが定期的に発車しており、宮崎はソフトバンクの牙城になりつつある。
ソフトバンクが、かつてはダイエー、南海と言われていたことはオールドファンには懐かしいことだろう。
南海時代、春季キャンプは和歌山県の田辺市、広島県・呉市などで行われていた。呉市でのキャンプでは、降雪のためにキャンプが中止になったこともある。
また、こんなこともあった。昭和63年の呉キャンプで、当時の選手会長・吉田博之が門限破りしたことが報道された。
何と、ホテルの塀をヒョイヒョイよじ登る姿まで撮られてしまったのだ。「示しが付かない」といことで、杉浦監督(当時)は、罰金5万円と外出禁止5日間という処分を下した。
キャンプでの門限破りはよくあることだが、これほど厳しい処分が下されたのは珍しいことだった。
それにしても、なぜ広島県呉市でキャンプを張っていたのだろうか。
場所は呉市内の二河球場。当時の南海は“ドカベン”こと香川伸行や、本塁打王の門田博光、山本和範ら個性的で人気の高い選手が多かった。
そして、忘れてはいけない選手が近田豊年。珍しい両手投げの投手で、当時は話題になった(ただし、大成はしなかったのだが…)。
南海球団が資金的に厳しい状況だったことは否めないが、大阪より寒い場所でキャンプを張るのはどうなのか。「まだ大阪の方が暖かい」と選手もこぼしていたというからすごい。
もはや“1強”…? いまや優勝候補の大本命!
ソフトバンクで忘れてはいけない人が、「世界の王」だ。
1995年から14年のあいだ監督を務め、リーグ優勝3度、日本一には2度輝いた。巨人からの決別、福岡に骨を埋める。そんな決意だったというが、王監督がすごかったのは、いかにファンを大事にしたか、ということだろう。
宮崎でのキャンプでは、普通の居酒屋にひょいと現れ、一杯飲みながら店の主人と野球談話。
「緊張したけど、気さくな方。なんたって世界の王さんですからね」と大感激。サインを求められれば、気軽に応じた。
それを、キャンプでやり続ける。シーズン中は博多でも、同じ事をやる。徐々にではあるが、“世界の王”が“福岡の王”に認知されていった。
14年の監督生活で、最初の3年は5位、6位、4位と奮わず、有名な「生卵投げつけ事件」なども起きたが、王監督は我慢の采配でチーム力をつけていった。
今やリーグを代表するチームにまで成長したソフトバンク。工藤公康監督のもと、打者ではMVP男・柳田悠岐に、内川聖一、投手では武田翔太ら昨シーズンの主力に加え、復帰した和田毅と復活の気配漂う松坂大輔などなど、選手層は万全な状態だ。
工藤監督はキャンプ前日、「青空面談」を敢行した。
選手一人一人とのコミュニケーションを大事にしながら、3連覇へ向けて着実に準備をしている。また、自ら打撃投手を買って出るなど、ともにプレーすることで選手の状態を把握するという。多い日には150球も投げた。
今シーズンも優勝候補の筆頭。1強とその他、などと評する声もある。強くて当然…このプレッシャーの中でどれだけ他のチームを圧倒できるのか。工藤政権2年目は、楽しみしかない。