■平良少年にマッチしていた指導ポリシー

当時の平良少年は高良さんから見てどんな小学生だったのだろうか?
「ユーモアがあるとか、おしゃべりが上手だということはなくて、いつもブスッとしている感じで、テレビに映るマウンド上の海馬そのままの子でしたね(笑)。でも、塾があるとか体調が悪いとか、たまに練習を休む子もいるなかで、海馬が練習を休んだ記憶はないですね。野球が楽しかったんでしょうね、1年中野球をやっていた印象があります」
平良少年のエピソードは続く。
「キャッチャーなんですけど、練習試合だとパスボールを全力で捕りにいかないんですよ(笑)。ベンチから『捕りにいけよ!』と言っても、不貞腐れたような感じで、ランナーがいてもダラダラと捕りにいく。凡打した時も一塁まで全力で走らず、ベンチにも歩いて帰ってきたり……態度にすぐに出ていましたね。『もうやる気スイッチが切れました』みたいな態度をとることが多々ありました(笑)」
そのような態度をとると、監督、コーチはどうしていたのだろうか?
「今はプロで活躍しているから笑い話にできるんですけど」と断ってこう話す。
「言っても聞かなかったですね(笑)。そんな態度でもまかり通るようなチーム環境ではありましたから、我々もどこかで『しょうがないな』という部分もありました。でもさすがにこちらにも限界があるので『お前もうダメだ! もう(野球を)やめれ!』と言うこともありました。でも、次の日の練習には何事もなかったように来るんですよね(笑)」
プロで成功している今があるから、これまでのプロセスが正しかったとするならば、平良少年の態度が悪くても「しょうがないな」とチームが許容したことは間違いではなかった。
「そうであったらいいですけどね」と謙遜するが、高良さんは「少年野球で勝つこと、上手くすることは二番、三番目。一番は野球を好きになってもらって、中学でも続けてもらうこと」をポリシーに少年野球の指導にあたっている。
こんな指導者に巡り会えたことが、後に「少年野球はやらされている感がなくて楽しかった」と振り返ることのできる、プロ野球選手・平良海馬を生んだのだ。
(取材:永松欣也/写真:高良氏提供)
*平良投手の恩師インタビュー完全版は書籍でお読み頂けます。