ショウアップナイター エピソード55
<エピソード7~ヤクルトアトムズ・中西太コーチの一言が決め手~>
~今年2021年、放送開始から「55周年」のシーズンを迎えたニッポン放送「ショウアップナイター」。これを記念し、中継だけでは届けきれない取材情報や解説陣の“ここだけの話”など、「55」のエピソードを紹介していく連載企画~
ショウアップナイター解説者の若松勉が、社会人野球でのプレーしか考えていなかったにも関わらず、最終的にプロ入りに至った自身のエピソードを語った。
今年2021年、55周年を迎えるニッポン放送ショウアップナイター。その解説者である若松勉が、プロ入りを避けていたなかでプロ入りを決意した大きなきっかけを振り返った。
「高校卒業後、電電北海道に勤めました。入った時からすごくいい会社で、野球をやめても安心して勤められる会社だったので自分にあっている会社だと思いました。そして電電北海道に入って5年目の事。『球団から【ドラフト指名してもいいですか?】という連絡があった』と電電北海道の監督から言われました。でも、プロになりたいと思わなかったので「いや、僕はいきません。ずっと電電北海道でプレーしたい。将来、選手生命が終わったらコーチなど指導者になりたい」と返答したのです。電電に入る時には、プロまで考えてなかったですし、体が小さいし、1年前に結婚をして、そこを振り切ってまで行こうとは思いませんでした。
高校生の時、北海道に遠征試合に来ていた巨人の長嶋茂雄さんや王貞治さんを間近に見て、このような大きな人がプロ野球選手になるんだと思いました。だから、背が小さい自分は絶対プロでは通用しないと思いましたし、北海道からプロ野球に行った人達で活躍できなかった人を何人も見てきました。その人達も体が大きくて、それでも活躍できなかったので自分はプロに行っても通用しないと思いましたね」
「それでもドラフト3位にかかっちゃったので、これはどうしようかと……(笑) スカウトは真冬の雪の中、何回も来ていましたが、毎回スカウトから逃げてました。
その年のクリスマス近く、妻に『一回、自分の力を試したい、3年くらい一生懸命やってもダメだったら北海道に帰ってこよう』と話しました。妻は最初反対でしたね。
しかし当時のヤクルトアトムズのコーチ、中西太さんが『体の大きさじゃない。下半身しっかりすれば野球は体が小さい人でもうまくなれる』と自分の父親に話してくれました。それがあって、考えてみようかなと。でも、奥さんはよくついてきてくれました。野球の『や』も知りませんでしたから(笑)」
「小さな大打者」若松勉は、中西太がいなかったら誕生しなかったかもしれない。