話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、日本時間4月28日に行われたヤクルト戦で、来日初ホームランを打った巨人の新外国人、ジャスティン・スモーク選手にまつわるエピソードを取り上げる。
ケタ違いのパワーを見せ付けてくれました。メジャーで通算196本塁打を放った巨人の新外国人・スモークが、4月28日、神宮球場で行われたヤクルト戦で待望の来日初本塁打を放ったのです。
左右両打ちのスイッチヒッター・スモークは、この日「5番・一塁」で先発出場。3回、先頭で左打席に入ると、ヤクルト先発・スアレスの初球、134キロのチェンジアップをいきなり捉えます。打球はぐんぐん伸び、右翼席中段に突き刺さりました。
変化球にうまく対応できるかどうかは、来日外国人の活躍を測る上で大きな要素。打った相手は外国人投手でしたが、早くも変化球を打っての1発が出たのは、本人にとっても大きな安心材料です。
新型コロナウイルス感染拡大に伴う入国制限の影響もあって、来日が遅れていたスモーク。ようやく来日できたのは、開幕後の3月29日でした。2週間の隔離を経て、4月16日に2軍戦で実戦デビューしました。ファームでは7試合に出場。途中、死球を受け2試合ほど欠場しましたが、打率3割3分3厘、5打点と結果を残し、27日、待ちに待った1軍初昇格を果たしたのです。
27日のヤクルト戦で1軍デビュー。「5番・一塁」で先発出場すると、初回、1死一・二塁チャンスで右打席に立ち、左腕の田口からライト前にヒット。来日初打席初安打を放ちました。7回、無死一塁の場面では、ヤクルト・清水のフォークをとらえ、右翼フェンス直撃のヒット。4打数2安打の活躍を見せ、期待に応えたスモーク。
ただこの試合、1つ大きなアクシデントがありました。同じく1軍に合流したばかりの新外国人、エリック・テームズが3回の守備で、レフト前の打球を処理した際に右足を痛め、倒れ込み悶絶。担架で運ばれたのです。診断の結果は「右足アキレス腱断裂」。長期離脱の可能性が極めて高くなりました。
両外国人をチームの起爆剤に、と考えていた原監督としては痛すぎる離脱ですが、そんなことがあった翌日だけに、スモークの1発はことのほか嬉しいホームランでした。
スモークの魅力は、左右両打席で本塁打が打てること。割合で言うと左打席での1発が多いですが、メジャーでは「1試合左右両打席アーチ」も3度記録しています。この調子で行けば、日本でその快挙を見られる瞬間もそう遠くないのでは? と思われます。
「左右両打ちの外国人スラッガー」は、打線を組む上でもありがたい存在ですし、過去に活躍した選手もたくさんいます。パッと思い浮かぶのは、フェルナンド・セギノール(オリックス→日本ハム→楽天→オリックス)、オレステス・デストラーデ(西武)辺りでしょうか。2人とも左右両打席でホームランを量産、本塁打王になっています。
実は巨人にも、かつてスイッチの外国人スラッガーがいましたが、覚えていらっしゃるでしょうか? レジー・スミスです。メジャーでは、ドジャース・ジャイアンツなど4球団で活躍。通算314本の本塁打を誇るスター選手でした。
1982年オフ、藤田元司監督のときに巨人と契約。来日した時点ですでに37歳でしたが、1983年・1984年の2シーズンプレーし、1年目は28本、2年目は17本の本塁打を放っています。当時在籍したウォーレン・クロマティもスミスを尊敬。スミスは怠慢プレーを叱るお目付役でもありました。
またスミスは、メジャーリーガーのプライドを大事にしていた選手でした。記憶に残っているのは、1983年、球史に残る名シリーズと呼ばれている、西武との日本シリーズでのこんなエピソードです。
このシーン、塁上での「どうだ!」という顔も含めて、よく覚えています。ちっとも打たないのにプライドだけ高い元メジャーリーガーも困りものですが、こういういい意味でのプライドはどんどん発揮して欲しいところ。それがチームを引き締めるからです。
幸いスモークは、日本の野球にも敬意を払い、真面目にプレーするタイプのようで、スミスを超える活躍を期待したいところです。
『変化球にしっかりとコンタクトできた。打ててうれしいよ』
~『日刊スポーツ』2021年4月28日Web配信記事 より(スモーク選手コメント)
左右両打ちのスイッチヒッター・スモークは、この日「5番・一塁」で先発出場。3回、先頭で左打席に入ると、ヤクルト先発・スアレスの初球、134キロのチェンジアップをいきなり捉えます。打球はぐんぐん伸び、右翼席中段に突き刺さりました。
変化球にうまく対応できるかどうかは、来日外国人の活躍を測る上で大きな要素。打った相手は外国人投手でしたが、早くも変化球を打っての1発が出たのは、本人にとっても大きな安心材料です。
新型コロナウイルス感染拡大に伴う入国制限の影響もあって、来日が遅れていたスモーク。ようやく来日できたのは、開幕後の3月29日でした。2週間の隔離を経て、4月16日に2軍戦で実戦デビューしました。ファームでは7試合に出場。途中、死球を受け2試合ほど欠場しましたが、打率3割3分3厘、5打点と結果を残し、27日、待ちに待った1軍初昇格を果たしたのです。
27日のヤクルト戦で1軍デビュー。「5番・一塁」で先発出場すると、初回、1死一・二塁チャンスで右打席に立ち、左腕の田口からライト前にヒット。来日初打席初安打を放ちました。7回、無死一塁の場面では、ヤクルト・清水のフォークをとらえ、右翼フェンス直撃のヒット。4打数2安打の活躍を見せ、期待に応えたスモーク。
ただこの試合、1つ大きなアクシデントがありました。同じく1軍に合流したばかりの新外国人、エリック・テームズが3回の守備で、レフト前の打球を処理した際に右足を痛め、倒れ込み悶絶。担架で運ばれたのです。診断の結果は「右足アキレス腱断裂」。長期離脱の可能性が極めて高くなりました。
両外国人をチームの起爆剤に、と考えていた原監督としては痛すぎる離脱ですが、そんなことがあった翌日だけに、スモークの1発はことのほか嬉しいホームランでした。
スモークの魅力は、左右両打席で本塁打が打てること。割合で言うと左打席での1発が多いですが、メジャーでは「1試合左右両打席アーチ」も3度記録しています。この調子で行けば、日本でその快挙を見られる瞬間もそう遠くないのでは? と思われます。
「左右両打ちの外国人スラッガー」は、打線を組む上でもありがたい存在ですし、過去に活躍した選手もたくさんいます。パッと思い浮かぶのは、フェルナンド・セギノール(オリックス→日本ハム→楽天→オリックス)、オレステス・デストラーデ(西武)辺りでしょうか。2人とも左右両打席でホームランを量産、本塁打王になっています。
実は巨人にも、かつてスイッチの外国人スラッガーがいましたが、覚えていらっしゃるでしょうか? レジー・スミスです。メジャーでは、ドジャース・ジャイアンツなど4球団で活躍。通算314本の本塁打を誇るスター選手でした。
1982年オフ、藤田元司監督のときに巨人と契約。来日した時点ですでに37歳でしたが、1983年・1984年の2シーズンプレーし、1年目は28本、2年目は17本の本塁打を放っています。当時在籍したウォーレン・クロマティもスミスを尊敬。スミスは怠慢プレーを叱るお目付役でもありました。
またスミスは、メジャーリーガーのプライドを大事にしていた選手でした。記憶に残っているのは、1983年、球史に残る名シリーズと呼ばれている、西武との日本シリーズでのこんなエピソードです。
『1年目の'83年の西武との日本シリーズ第3戦では、1点を追う9回2死一、二塁で当時の王貞治助監督から「ヒットでいいからレフトに流せ」とアドバイスを受けた。しかし、それが元メジャーリーガーのプライドに火をつけたのか、東尾修投手の外角シュートを強引に引っ張ってセンター前に同点タイムリーを放ったというエピソードも残っている』
~『Number Web』2017年9月8日Web配信記事 より
このシーン、塁上での「どうだ!」という顔も含めて、よく覚えています。ちっとも打たないのにプライドだけ高い元メジャーリーガーも困りものですが、こういういい意味でのプライドはどんどん発揮して欲しいところ。それがチームを引き締めるからです。
幸いスモークは、日本の野球にも敬意を払い、真面目にプレーするタイプのようで、スミスを超える活躍を期待したいところです。