話題のアスリートの隠された物語を探る「スポーツアナザーストーリー」。今回は、ZOZOマリンスタジアムの場内アナウンス担当として活躍し、今季限りで惜しまれながらマイクを置く谷保恵美(たにほ・えみ)さんにまつわるエピソードを紹介する。
「ロッテの声」を担当して33年。今季限りでの“アナウンス引退”を宣言していた谷保恵美さん。10月7日、今季ペナントレース本拠地最終戦となったオリックス戦で“公式戦最後のアナウンス”を迎えた。
ひと言で33年間と片付けるなかれ。通算2100試合にも渡ってスタジアムを魅了し続けたその声は、日々の体調管理や不断の努力の賜物。つまりは「健全な心・技・体」によって達成できた記録だ。
北海道生まれの谷保さん。幼少時から野球に親しみ、高校・短大時代は野球部マネージャーを経験。大学野球のリーグ戦で場内アナウンスデビューを果たした卒業後、「場内アナウンサーの求人はないか」とプロ野球の各球団事務所に片っ端から電話したというから恐れ入る。
こうした求人自体が希少であり、当然ながら夢の実現は困難を極めたものの、数年間粘りに粘って当時のロッテオリオンズに“入団”。夢を叶えるこの粘り強さこそ、のちに生まれる「前人未踏の大記録」達成への礎となったわけだ。
入社した翌年の1991年から、2軍戦を中心にアナウンスを担当。翌92年には1軍本拠地が千葉に移転するなど、千葉ロッテマリーンズの歴史の生き証人でもある彼女にとっても大きな出来事だったのは、98年シーズンの「18連敗」だ。
当時のマリンスタジアムでは異様な光景も見られた。12連敗を喫した試合では三塁側の2階席で爆竹が鳴り響き、14連敗した翌日は球場に千葉神宮の宮司を招いてスタッフや選手を集めてお祓いが行われたことも。ただ、その効果も虚しく、さらに連敗を重ねたマリーンズ。それでも増え続けたファンの存在が谷保さんの心を動かし、かけがえのないものになっていった。
そんな谷保さんの代名詞とも言えるのが、マリンスタジアムに響き渡る独特の言い回しだ。「サブロ~~~~~」や「ふくうら~~~~」など、幕張の空に刺さるような語尾が伸びて上がるこの“谷保節”は、球場名物の強風に負けじと「風が強いなかではっきり聞こえるため」に編み出された奥義。もしもマリーンズが無風のドーム球場を本拠地にしていたら、誕生していなかったかも知れないという秘話もある。
東京湾から直接吹き込む強風のおかげで、打球が押し戻されてスタンドインならず……を幾度となく目撃してきたマリーンズファン。憎き“難敵”に立ち向かった彼女もまた、マリーンズに必要不可欠な戦力であり、ファンはもちろん、敵味方関係なく選手からも愛されていた。
象徴的だったのは2016年のサブロー(現ロッテ2軍監督)現役引退試合におけるアナウンスだ。引退会見では花束贈呈役も務め、サブローとともに涙した谷保さん。そして、来たる引退試合に向けてこんな宣言をした。
最後の打席、つまり引退の瞬間を長引かせるために、「サブロ~~~~~」の語尾を伸ばしまくると宣言。実際、あのときのアナウンスは10秒以上も続く伸びがあった。こうした“谷保節”には、ファンを楽しませるサービス精神はもちろん、打席に向かう選手たちへ勇気を与える呼び水にもなったはずだ。
後世に語り継ぎたい“谷保節”と、1894試合連続“アナウンス登板”の鉄人ぶり。文字通り、記憶と記録に残る33年間のアナウンス史には、ある種の“尊さ”を感じずにはいられない。
当時小学生だったロッテファンは、谷保さんの声で選手を知り、野球を知った。そしてときは流れ、子どもと一緒にマリンスタジアムへと足を運ぶなど、親子2代にわたって谷保さんの声でプロ野球を語るファンも多い。
雨の日も風の日も昼夜問わず、いつも球場に姿を現して明るい笑顔を振りまいた彼女を支えたものは、選手も顔負けの強烈なプロ意識ではなかったか。鉄人とも称される小柄な彼女が残した33年間の足跡は、球史に残る偉業と言えるだろう。
そして尊い物語はまだ続く。10月10日に順延された4位楽天とのシーズン最終戦で勝利すれば、クライマックスシリーズに2位通過……つまり、本拠地ZOZOマリンスタジアムで開催するCSファーストステージで再び“谷保節”を聞くことができる可能性があるのだ。
そしてその先、さらに勝ち上がることができれば、谷保さんが長年思い描いた「夢」も待っている。
この夢物語の結末がどうであれ、間違いなく日本プロ野球界に大きな足跡を残した谷保さん。その功績は、まさに野球界の無形文化遺産。いつの日か野球殿堂入りを果たすなど、日本球界の粋な計らいにも期待したい。
「ロッテの声」を担当して33年。今季限りでの“アナウンス引退”を宣言していた谷保恵美さん。10月7日、今季ペナントレース本拠地最終戦となったオリックス戦で“公式戦最後のアナウンス”を迎えた。
ひと言で33年間と片付けるなかれ。通算2100試合にも渡ってスタジアムを魅了し続けたその声は、日々の体調管理や不断の努力の賜物。つまりは「健全な心・技・体」によって達成できた記録だ。
『野球雑誌で電話番号を調べて、プロ野球の各球団事務所に問い合わせ、場内アナウンサーの求人はないか、尋ねまわっていました』
~ロッテ公式ホームページ(2019年8月27日配信記事)より
北海道生まれの谷保さん。幼少時から野球に親しみ、高校・短大時代は野球部マネージャーを経験。大学野球のリーグ戦で場内アナウンスデビューを果たした卒業後、「場内アナウンサーの求人はないか」とプロ野球の各球団事務所に片っ端から電話したというから恐れ入る。
こうした求人自体が希少であり、当然ながら夢の実現は困難を極めたものの、数年間粘りに粘って当時のロッテオリオンズに“入団”。夢を叶えるこの粘り強さこそ、のちに生まれる「前人未踏の大記録」達成への礎となったわけだ。
入社した翌年の1991年から、2軍戦を中心にアナウンスを担当。翌92年には1軍本拠地が千葉に移転するなど、千葉ロッテマリーンズの歴史の生き証人でもある彼女にとっても大きな出来事だったのは、98年シーズンの「18連敗」だ。
当時のマリンスタジアムでは異様な光景も見られた。12連敗を喫した試合では三塁側の2階席で爆竹が鳴り響き、14連敗した翌日は球場に千葉神宮の宮司を招いてスタッフや選手を集めてお祓いが行われたことも。ただ、その効果も虚しく、さらに連敗を重ねたマリーンズ。それでも増え続けたファンの存在が谷保さんの心を動かし、かけがえのないものになっていった。
『まさか18連敗とは。でもお客さんが一緒に頑張ろうって。「マリーンズが本当に好きだから♪」って応援歌の歌詞にもありますが、どんな時でも応援してくれるという方がどんどん増えていって。本当にありがたくて。あの出来事が一番の転機になったと思います』
~『日刊スポーツ』2021年9月1日配信記事 より
そんな谷保さんの代名詞とも言えるのが、マリンスタジアムに響き渡る独特の言い回しだ。「サブロ~~~~~」や「ふくうら~~~~」など、幕張の空に刺さるような語尾が伸びて上がるこの“谷保節”は、球場名物の強風に負けじと「風が強いなかではっきり聞こえるため」に編み出された奥義。もしもマリーンズが無風のドーム球場を本拠地にしていたら、誕生していなかったかも知れないという秘話もある。
『本当に風が強い中ではっきり聞こえるために、なるべく自分が思っているよりゆっくり、はっきり、明るく元気に聞こえるようにしゃべりたいというのがあって、それでちょっと語尾を上げるようになったんです。上がるようになった方が、聞き取れるかなというのが始まりで。(もし球場がドームだったら違うアナウンスになっていた?)そうだと思いますよ』
~『THE ANSWER』2020年6月22日配信記事 より
東京湾から直接吹き込む強風のおかげで、打球が押し戻されてスタンドインならず……を幾度となく目撃してきたマリーンズファン。憎き“難敵”に立ち向かった彼女もまた、マリーンズに必要不可欠な戦力であり、ファンはもちろん、敵味方関係なく選手からも愛されていた。
象徴的だったのは2016年のサブロー(現ロッテ2軍監督)現役引退試合におけるアナウンスだ。引退会見では花束贈呈役も務め、サブローとともに涙した谷保さん。そして、来たる引退試合に向けてこんな宣言をした。
『(酸欠で)倒れるまで伸ばします。打席に入れません!!』
~『サンスポ』2016年9月2日配信記事 より
最後の打席、つまり引退の瞬間を長引かせるために、「サブロ~~~~~」の語尾を伸ばしまくると宣言。実際、あのときのアナウンスは10秒以上も続く伸びがあった。こうした“谷保節”には、ファンを楽しませるサービス精神はもちろん、打席に向かう選手たちへ勇気を与える呼び水にもなったはずだ。
後世に語り継ぎたい“谷保節”と、1894試合連続“アナウンス登板”の鉄人ぶり。文字通り、記憶と記録に残る33年間のアナウンス史には、ある種の“尊さ”を感じずにはいられない。
当時小学生だったロッテファンは、谷保さんの声で選手を知り、野球を知った。そしてときは流れ、子どもと一緒にマリンスタジアムへと足を運ぶなど、親子2代にわたって谷保さんの声でプロ野球を語るファンも多い。
雨の日も風の日も昼夜問わず、いつも球場に姿を現して明るい笑顔を振りまいた彼女を支えたものは、選手も顔負けの強烈なプロ意識ではなかったか。鉄人とも称される小柄な彼女が残した33年間の足跡は、球史に残る偉業と言えるだろう。
そして尊い物語はまだ続く。10月10日に順延された4位楽天とのシーズン最終戦で勝利すれば、クライマックスシリーズに2位通過……つまり、本拠地ZOZOマリンスタジアムで開催するCSファーストステージで再び“谷保節”を聞くことができる可能性があるのだ。
そしてその先、さらに勝ち上がることができれば、谷保さんが長年思い描いた「夢」も待っている。
『いつかは本拠地で「優勝でございます」とアナウンスしたい! 2005年と2010年にマリーンズは日本一になりましたが、どちらもビジターの球場で決まっていますので。優勝したその瞬間の喜びを、スタンドを埋め尽くしたファンの皆さんと分かち合いたいですね。ぜひとも叶えたい夢です』
~ロッテ公式ホームページ(2019年8月27日配信記事)より
この夢物語の結末がどうであれ、間違いなく日本プロ野球界に大きな足跡を残した谷保さん。その功績は、まさに野球界の無形文化遺産。いつの日か野球殿堂入りを果たすなど、日本球界の粋な計らいにも期待したい。