西武は17日、増田達至の今季限りでの現役引退を発表した。なお、引退試合ならびに引退セレモニーは、9月28日(土)のロッテ戦で行われる。
増田は球団を通じて「ここ数年、思うように投げられない自分がいました。そんな時でも観客席から送られる熱い青炎に感謝を感じるとともに、もっとチームに貢献したい、皆さまと喜びを分かち合いたいと、僕の胸の闘志を掻き立てられました。クローザーとしてチームを勝利へ導く9回のマウンドに上り、その役割を果たしたときのファンの皆さまの歓声は一生忘れることはありません。もっと長くファンの皆さまと夢の続きが見たかったのですが、何より最後まで“ライオン”(登場曲)に込められた歌詞を胸に、ライオンズ一筋でプレーできたことは幸せでした。最後までたくさんのご声援本当にありがとうございました」とコメントした。
渡辺久信GM兼監督代行は「セットアッパーとクローザーという一番重圧のかかるポジションで投げていたにも関わらず、とても安定したピッチングを見せてくれました。増田はとにかく体が丈夫でけがをしないので、計算できるリリーバーでしたね。FA権を取得しても残留してくれて、最後までライオンズ愛を貫いてくれた選手のひとりですし、すごくチームに貢献してくれました」と感謝した。
増田は12年ドラフト1位で西武に入団。1年目から42試合に登板し、3年目の15年にはリーグ最多の72試合に登板、42ホールドポイントで最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。18年は悔しいシーズンになったが、19年は65試合に登板して、4勝1敗30セーブ、防御率1.81でリーグ連覇に貢献。同年、森友哉(現オリックス)と最優秀バッテリー賞を受賞した。
20年には最多セーブ投手に輝き、22年には31セーブをマーク。昨季も40試合に登板したが、防御率が5.45と精彩を欠き、今季はここまで12試合に登板して、0勝2敗3ホールド、防御率4.09だった。ライオンズ一筋12年のベテラン右腕がユニホームを脱ぐ。
増田は球団を通じて「ここ数年、思うように投げられない自分がいました。そんな時でも観客席から送られる熱い青炎に感謝を感じるとともに、もっとチームに貢献したい、皆さまと喜びを分かち合いたいと、僕の胸の闘志を掻き立てられました。クローザーとしてチームを勝利へ導く9回のマウンドに上り、その役割を果たしたときのファンの皆さまの歓声は一生忘れることはありません。もっと長くファンの皆さまと夢の続きが見たかったのですが、何より最後まで“ライオン”(登場曲)に込められた歌詞を胸に、ライオンズ一筋でプレーできたことは幸せでした。最後までたくさんのご声援本当にありがとうございました」とコメントした。
渡辺久信GM兼監督代行は「セットアッパーとクローザーという一番重圧のかかるポジションで投げていたにも関わらず、とても安定したピッチングを見せてくれました。増田はとにかく体が丈夫でけがをしないので、計算できるリリーバーでしたね。FA権を取得しても残留してくれて、最後までライオンズ愛を貫いてくれた選手のひとりですし、すごくチームに貢献してくれました」と感謝した。
増田は12年ドラフト1位で西武に入団。1年目から42試合に登板し、3年目の15年にはリーグ最多の72試合に登板、42ホールドポイントで最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。18年は悔しいシーズンになったが、19年は65試合に登板して、4勝1敗30セーブ、防御率1.81でリーグ連覇に貢献。同年、森友哉(現オリックス)と最優秀バッテリー賞を受賞した。
20年には最多セーブ投手に輝き、22年には31セーブをマーク。昨季も40試合に登板したが、防御率が5.45と精彩を欠き、今季はここまで12試合に登板して、0勝2敗3ホールド、防御率4.09だった。ライオンズ一筋12年のベテラン右腕がユニホームを脱ぐ。