今季まで中日の守護神として君臨していたライデル・マルティネスが、巨人への移籍が正式に発表された。
マルティネスは17年に育成選手として中日に入団し、18年に支配下選手となり、19年にプロ初セーブを含む8セーブを挙げると、翌20年から抑えに定着22年に39セーブ、24年に43セーブを記録し最多セーブのタイトルを獲得。中日の黄金時代を支えた岩瀬仁紀氏に匹敵するクローザーだった。
マルティネスが退団し、クローザー候補がいないかと言われたら、そういうわけではない。今季阪神の桐敷拓馬とともに松山晋也が最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。
松山は今季初登板となった3月29日のヤクルト戦で1つもアウトが奪えず4失点で敗戦投手となり、翌30日のヤクルト戦に失点したが、4月4日の巨人戦から5月18日のDeNA戦にかけて15試合連続無失点。さらに6月2日のオリックス戦から8月7日のDeNA戦にかけて21試合連続無失点。8月17日の阪神戦から10月5日のDeNA戦にかけて11試合連続無失点でシーズンを終えた。結果的に、今季は59試合に登板して、2勝3敗41ホールド、防御率1.33。本拠地・バンテリンドームでは27試合・25回2/3を投げ、0失点と抜群の安定感を誇った。
シーズン終了後に行われた第3回WBSCプレミア12の日本代表に選出された清水達也も今季、チームトップの60試合に登板して、3勝1敗36ホールド1セーブ、防御率1.40の成績を残した。清水は今季初登板となった3月29日のヤクルト戦から5月19日のDeNA戦にかけて18試合連続無失点、6月26日の阪神戦から7月20日の巨人戦にかけて11試合連続無失点と、松山と同じようにドラゴンズのブルペンを支えた。
松山、清水がおり、そのほかにも齋藤綱記、藤嶋健人、橋本侑樹、勝野昌慶がいる。マルティネスが抜けて抑え候補を緊急補強しなければいけないというほど、人材が不足しているわけではない。
ただ、勝ち試合の最後を締める重要なポジションで、責任は重い。ここを乗り越え、岩瀬氏、マルティネスを超えるようなクローザー誕生することを期待したい。
マルティネスは17年に育成選手として中日に入団し、18年に支配下選手となり、19年にプロ初セーブを含む8セーブを挙げると、翌20年から抑えに定着22年に39セーブ、24年に43セーブを記録し最多セーブのタイトルを獲得。中日の黄金時代を支えた岩瀬仁紀氏に匹敵するクローザーだった。
マルティネスが退団し、クローザー候補がいないかと言われたら、そういうわけではない。今季阪神の桐敷拓馬とともに松山晋也が最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。
松山は今季初登板となった3月29日のヤクルト戦で1つもアウトが奪えず4失点で敗戦投手となり、翌30日のヤクルト戦に失点したが、4月4日の巨人戦から5月18日のDeNA戦にかけて15試合連続無失点。さらに6月2日のオリックス戦から8月7日のDeNA戦にかけて21試合連続無失点。8月17日の阪神戦から10月5日のDeNA戦にかけて11試合連続無失点でシーズンを終えた。結果的に、今季は59試合に登板して、2勝3敗41ホールド、防御率1.33。本拠地・バンテリンドームでは27試合・25回2/3を投げ、0失点と抜群の安定感を誇った。
シーズン終了後に行われた第3回WBSCプレミア12の日本代表に選出された清水達也も今季、チームトップの60試合に登板して、3勝1敗36ホールド1セーブ、防御率1.40の成績を残した。清水は今季初登板となった3月29日のヤクルト戦から5月19日のDeNA戦にかけて18試合連続無失点、6月26日の阪神戦から7月20日の巨人戦にかけて11試合連続無失点と、松山と同じようにドラゴンズのブルペンを支えた。
松山、清水がおり、そのほかにも齋藤綱記、藤嶋健人、橋本侑樹、勝野昌慶がいる。マルティネスが抜けて抑え候補を緊急補強しなければいけないというほど、人材が不足しているわけではない。
ただ、勝ち試合の最後を締める重要なポジションで、責任は重い。ここを乗り越え、岩瀬氏、マルティネスを超えるようなクローザー誕生することを期待したい。