東京五輪でも活躍期待
チームの顔ともいうべき“背番号1”。今季から新たにその番号を背負い、重責を担う2人がいる。中日の京田陽太と広島の鈴木誠也だ。
彼らはともに入団時の背番号「51」から「1」へと変更。チームの未来を託された1994年生まれの同級生2人が、更なる高みを目指す。
各球団の春季キャンプを視察した侍ジャパンの稲葉篤紀監督も、日本代表候補として京田と鈴木に注目。京田には「リードオフマン」、鈴木には「4番」として期待を寄せている。今秋開催されるプレミア12や、2020年の東京五輪でも活躍が期待される“侍候補”であることは間違いない。
“竜のリードオフマン”として新たな歴史を背負う京田
京田はルーキーイヤーの2017年に141試合に出場し、打率.264をマーク。さらに球団新人記録の149安打を放ち、新人王を獲得した。
ところが、昨季は打率.235と低迷。出塁率も.297から.266に下がってしまった。盗塁こそ2年連続で20盗塁以上を記録したが、1年目を上回る結果を残すことはできなかった。
そんな中、今季はドラフト1位で根尾昂が加入。将来のドラゴンズの主軸として期待される根尾は「ショート1本」を宣言。京田にとってライバルとなるが、遊撃の定位置を渡すつもりはない。背番号1をつけ、歴史ある名プレーヤーの仲間入りを果たす。
中日で背番号1をつけてプレーした選手では、走攻守の三拍子そろった1番打者として名を馳せた高木守道が印象深い。高木は1960年に中日に入団し、21年間ドラゴンズ一筋でプレー。「2代目ミスター・ドラゴンズ」として通算2274安打を記録しただけでなく、名二塁手としても巧みなバックトスを披露するなどして活躍した。
さらに、プロ入り初登板でノーヒット・ノーランを記録した近藤真一はのちに入団時の13番から1番に変更。現在、阪神でプレーする福留孝介は、新人のときから1番を背負ってきた。
最近では2008年から堂上直倫、2015年からは友永翔太が1番をつけたが、ともに思うような結果は残せずに背番号を変更。今季から京田が背負うことで、新たなドラゴンズの歴史がスタートする。
その京田は“竜のリードオフマン”の座を手中に収めるべく、今季は出塁率にこだわる。さらに、全試合フルイニング出場も目標に掲げている。京田が憧れの存在として挙げている阪神の鳥谷敬は、遊撃手として最多となる667試合連続フルイニング出場の記録を持つ。偉大な記録に追いつき追い越すため、新たな挑戦が始まる。
丸が抜け、チームを支える役割を担う鈴木
丸佳浩がFAで巨人に移籍し、文字通りチームを支える役割を期待されるのが鈴木誠也だ。
プロ6年目の昨季は不動の4番打者として広島のリーグ3連覇に貢献。打率.320、30本塁打、94打点という成績を残し、3年連続3度目のベストナインにも輝いた。
2017年に守備中のアクシデントにより右足首を骨折した鈴木だが、昨年11月に患部に埋め込まれたボルトの除去手術を受けたものの、現在は春季キャンプで新たな背番号1をつけて練習に励んでいる。11日には今キャンプ初の紅白戦で左翼席へソロを放ち、存在感を示した。
“赤ヘルの背番号1”は、球団創設の50年に白石勝巳が背負ったあと、古葉竹識、大下剛史、山崎隆造、前田智徳がつけ、カープの歴史を築いてきた。
1958年に広島に入団した古葉は、1年目から遊撃手のレギュラーに君臨。1964年と1968年に盗塁王を獲得した。また、監督としても広島を球団初のリーグ優勝に導き、在任中は4度のリーグ優勝と3度の日本一に導いた名将である。
1975年に日本ハムからトレードで広島に移籍してきた大下は、この年に44盗塁をマークして盗塁王を獲得。リードオフマンとしてカープ初優勝の原動力となった。スイッチヒッターの山崎は、1983年にレギュラーに定着してから3年連続で打率3割をマーク。外野手としても4度のゴールデングラブ賞を獲得し、攻守でチームを引っ張った。
そして、鈴木と同じく入団時は背番号51をつけていて、その後に1番を継承したのが前田智徳だ。
「孤高の天才打者」とも呼ばれた男は1995年に右アキレス腱を断裂する大ケガを負うも、以降も故障と闘いながら24年間カープ一筋でプレー。その類まれな打撃技術で打率3割を11度(※規定打席到達)もマークしている。2007年には通算2000安打も達成し、名球会入りを果たした。
その前田が2013年で現役を引退して以来、カープのユニフォームに背番号1が6年ぶりに復活。今季の鈴木は打点王も視野に入れ、初のタイトル奪取とチームの4連覇に向けて突き進む。
京田と鈴木はそれぞれ偉大な先人たちの歴史も背負いながらプレーすることになる。春季キャンプも終盤に入り、練習試合やオープン戦で開幕に向けての調整がいよいよ始まる。今季の2人の活躍に注目したい。
文=別府勉(べっぷ・つとむ)