球史に残る「ヘディング事件」
プロ野球の長い歴史の中で起こった「珍事件」を球団別にご紹介していくこの企画。
第3弾は、中日ドラゴンズ編だ。
中日といえば、伝統的に「珍」の主役を多く輩出しているイメージがある。
中でも有名なのが、プロ野球番組で“珍プレー”という一大ジャンルを確立するキッカケをつくったあの選手だろう。
野球なのに「ヘディング」でお馴染みの宇野勝だ。
1981年8月26日の巨人戦(後楽園)。6回二死二塁、山本功児がショート後方に高々と打ち上げたフライが、宇野のおでこをゴツーンと直撃。大きく跳ねたボールが左翼ポール際まで転がる間に失点を許したシーンは、“ヘディング事件”として長らく語り継がれている。
実はこのプレー、宇野一個人の問題にとどまらなかったというのはご存じだろうか…。
巨人はこの日まで、セ・リーグ記録の159試合連続得点を継続中。中日の先発・星野仙一は、小松辰雄と「どちらが先に巨人を完封するか」で賞金10万円の賭けをしていたのだという。
6回二死まで巨人打線を無失点に抑えていた星野は、山本が遊飛を打ち上げた瞬間、「よし、この回も頂き!!」と確信したはずだ。
それが、まさかのヘディングプレーによって、一瞬にして水の泡…。
バックアップに入った本塁横、二塁走者・柳田真宏が得点するのを目の当たりにした星野は、グラブを叩きつけて悔しがった。
星野自身は「あのときは悔しかった。あんなプレーをオレは初めて見たが、宇野に腹が立ったわけではなく、完封が逃げたと思ったから…」と説明している。
宇野も「(ヘディングは)翌日のスポーツ紙で記事にされることを覚悟していた」そうだが、まさか40年以上もの長きにわたって“珍プレーの元祖”として語り継がれることになろうとは、思わなかっただろう。
ちなみに、宇野はその後もレフトを守っていた1992年7月8日の巨人戦で、篠塚和典の飛球をグラブに当てて落球。同点を許すなど、エラー絡みの珍プレーがついて回る。
だが、落合博満も「ちゃらんぽらんに見えるけど、アレはうまい」と評するほど、守備のセンスは抜群。
そんな名手が常識では考えられないような大ポカを演じてしまうのだから、野球は“ミステリアス”である。
大島康徳が経験した球史のなかで“唯一の体験”
前の走者を追い越してしまってアウトになるという珍プレーは現在でもときどき見られるが、わずか半月のうちに追い越し、追い越されの両方を体験した選手は、長いプロ野球の歴史の中でも大島康徳だけだ。
まず追い越されたのは、1984年5月5日の大洋戦(横浜)。3回一死満塁、一塁走者の大島は、次打者・宇野が右翼線にフライを打ち上げると、ハーフウェイで打球の行方を見守った。
直後、ライト・高木由一が落球。これを見た大島は二塁に向かいはじめたが、後方から宇野が猛スピードで追い上げてくるではないか。
「オイ、待て、止まれ!!」
二塁ベース手前で両手を前に突き出して必死に止めようとしたが、「二塁に行くことしか頭になかった」という宇野は、あっという間に大島を追い越してアウトになった。
「暴走族め!」と宇野を叱りつけた大島だったが、同19日のヤクルト戦(ナゴヤ)では、今度は自分が前の走者を追い越すことになろうとは…。
3-6の5回、無死一・二塁の場面。4番・大島は左中間にあわや同点3ランという大飛球を放つ。
だが、打球はグラブを差し出すレフト・釘谷肇をわずかにかすめてフェンスを直撃。「入れよ」と念じながら夢中で走っていた大島は、一二塁間で打球の行方を見守っていた一塁走者・谷沢健一に気づくのが遅れ、慌てて戻ろうとしたが、勢い余って追い越し。2週間前の宇野同様、アウトになった。まさに因果はめぐるである。
なお、大島は1981年8月19日の大洋戦でグラブトスによるアシストホームランを演じるなど、守備でも珍プレーが見られたが、1985年5月4日の阪神戦では、佐野仙好のあわや満塁本塁打という大飛球をラッキーゾーンの金網に激突しながら後ろ向きの姿勢でキャッチする“超美技”も披露している。
大記録を達成したのにコケた岩瀬仁紀
プロ野球最多の通算407セーブを記録した伝説の守護神・岩瀬仁紀も、意外に珍プレーとご縁が深かった。
前人未到の通算400セーブ目に王手をかけた2014年7月26日の巨人戦(ナゴヤドーム)。7-4とリードした9回に満を持してマウンドに上がった岩瀬は、片岡治大を中飛、亀井善行を三振に打ち取り、あと一人で快挙達成となる。
ところが、二死無走者から3連打を浴び、1点を返されてなおも二死二・三塁と一打同点のピンチを迎えてしまう。
そして、次打者・阿部慎之助のときに、まさかのアクシデントが起きる。カウント1ボール・2ストライクと追い込んでからの4球目、岩瀬はスライダーを投げた瞬間、バランスを崩してマウンド上でコケてしまったのだ。
だが、転倒する姿に面食らった阿部はタイミングを狂わされ、空振り三振。
「魔球が来た。相手がひっくり返ったと思ったら、自分もひっくり返ってしまった」と目を白黒させた。
ウイニングボールをキャッチした谷繫元信兼任監督が「ずっと残る映像なので、カッコ悪いと思いながら、『おめでとう』と言いました」と苦笑する珍幕切れに、岩瀬も「自分らしいなと思います」と照れまくりだった。
また、通算900試合登板の2016年8月6日のDeNA戦では、一死も取れず3失点KOされた直後に花束を贈呈されるという間の悪さ。
通算950試合登板の2017年8月5日の巨人戦では、最終回の一打逆転のピンチに重信慎之介の“三角ベース”(二塁ベースの踏み忘れ)に助けられてゲームセットと、節目の記録はなぜか珍プレーとセットというパターンが多かった。
文=久保田龍雄(くぼた・たつお)