かつての「最優秀中継ぎ投手」が…
感情を表出させることなく淡々と…。
言葉を紡ぐ姿は、マウンドの上と変わらなかった。
9月20日、阪神タイガースの桑原謙太朗が引退会見を行った。
「後悔はしていないですけど、悔いは多少残ったかなと思う野球人生でした。横浜で入団して、オリックスで、阪神さんにトレードで拾ってもらって活躍できたことが何より良かったかなと思います」
キャリアの終盤で、まばゆい輝きを放った男だった。
2017年、当時の金本知憲監督の目に留まり勝利の方程式に組み込まれると、その才能は一気に開花。
唯一無二と言える『真っスラ』を武器にシーズン通してフル回転。キャリア最多の67試合に登板して、防御率は1.51。
43ホールドポイントを挙げ、同僚のマルコス・マテオとともに「最優秀中継ぎ投手」のタイトルも獲得した。
痛みを抱えながらの戦い
背番号64の登場そのものが、勝利を確かなものにさせる“儀式”──。
一心不乱に腕を振り続けた1年を、本人も「金本監督に抜てきして頂いて。自分の中で精一杯やったというのがあの年。自分の中でも上出来以上ですね」と穏やかに振り返る。
翌年も60試合以上に登板し、ブルペン陣の中で地位を確立。しかし、チームへの献身と引き替えに、右腕は結果的にプロ生活に終止符を打つことになる「苦闘」と直面した。
2019年から悩まされた右肘痛。30代半ばに差し掛かり、手術をする時間的な余裕もなかった。
「(痛みと)付き合っていくしかない」
キャッチボールすらできない日々もあった中、昨年9月13日の広島戦では513日ぶりに一軍での復帰登板を果たす。
しかし、今季は開幕一軍メンバー入りこそしたものの、5月中旬に二軍降格。
「ファームでもう一回頑張ろうと思っていたんですけど、痛みを抱えながらやっていく中で思うようにいかず、つらく感じたというのが一番の理由」と、引退に至った経緯を明かした。
先輩の背中を追って…
会見では、ともにブルペンで奮闘してきた岩崎優から花束を受け取った。
「クワさん」と呼ばれ、後輩からも慕われていた35歳。ふと、ある選手のことが頭をよぎった。
島本浩也は、桑原の背中を追いかけてきた1人だった。
7歳上の先輩に、2017年からは弟子入りする形で合同自主トレも敢行。
「クワさんの組むメニューはめちゃくちゃきついので。ついていくのも大変ですから」と走り込み中心の厳しいメニューに息を切らしながらも、ともに過ごす時間の価値を噛みしめてもいた。
島本自身は、桑原がシーズン序盤で降格となった2019年に入れ替わるように飛躍。自己最多の63試合に登板し、防御率1.64と大きくステップアップした。
だが、酷使した左肘はすぐに悲鳴をあげてしまう。昨年は一軍で1試合も登板できず、11月にトミージョン手術。背番号120の育成契約となり、現在は復帰へ向けてリハビリを行っている。
奇しくも、ここ2年はともに故障に苦しみ、それでも一軍の舞台へ戻るべく、最後も一緒に汗を流してきた。
刺激し合ってきた師弟関係は桑原の引退で“解消”となってしまった。今は、コロナ禍の取材規制で島本の声を聞くことは叶わない。
それでも、肘の痛みに耐えながら懸命に前を向いて復活を目指した桑原の背中は、きっと指針になっているはずだ。先輩が静かに後にしたマウンドへ…。島本はもう一度、帰ってくる。
文=チャリコ遠藤(スポーツニッポン・タイガース担当)