プロ15年、秋山拓巳が現役引退を決断
頬を伝う涙には、すべてを捧げてきた野球に対する一途な思いが混じっていた。
タイガースの秋山拓巳が今季限りでの現役引退を決断。15日、兵庫県西宮市内で行われた会見では冒頭のあいさつの開始直後から号泣するなど、プロ15年目右腕の感情が露わになった。
「ここ数年、ヒザの痛みに苦しんでいて、何とかもう一度、1軍で…という思いでやってきましたけど、やっぱりファームで過ごしていく中でも、なかなか状態が上がってこず、ここ数年、結果も出すことができていなかったので、ここまでかな、と決断しました」
18年のオフにメスを入れた右膝の状態が昨年から悪化していた。投手にとって不可欠な走り込みをシーズン前に行えず、マウンドでもボールに力が伝わらない苦闘を続けてきた。
17、20、21年と1軍で3度の2ケタ勝利を記録するなど、全盛期の理想の姿と現実の大きなギャップを考えれば、いつ心が折れてもおかしくなかった。それでも、秋山は「諦めずに頑張れた」と昇格の声がかからずも痛みに耐えながら腕を振った日々を思い返して力強くうなずいた。
「何度もはい上がってこれたんで」
歩んできた15年のキャリアには野球人生の浮き沈みが詰まっている。
10年、まだ19歳だった高卒1年目に1軍デビューしプロ初勝利を含む4勝をマーク。プロ初完封を100球以下の「マダックス」で飾る大物ぶりを見せつけて将来を嘱望された。だが、2年目以降は投球フォームを試行錯誤するなど不振に苦しみ、6年目まで計2勝と伸び悩んだ。
転機となったのは16年。当時、先輩だった藤川球児氏から「スピードを出せ」とシンプルな助言をもらい、「あれで変われる勇気を持てた」と理想の投球フォームを追いかけず強く腕を振ることを意識するとボールの伸びが変わった。手応えをつかんで迎えた17年に自己最多の12勝を挙げると、20年からは2年連続で10勝以上と先発ローテーションの軸になった。
故障でシーズン中に離脱することはほとんどなく、2軍でも通算5度の2桁勝利を記録。引退発表後初の実戦登板となった20日のウエスタン・リーグのカープ戦では前人未踏の2軍通算1000投球回に到達した。
秋山は会見で、キャリアの忘れられない出来事として2018年に当時の広島・水本勝己2軍監督(現オリックスヘッドコーチ)からかけられた言葉を口にした。
「ファームからはい上がってきた選手の代表として頑張れよ、と。その言葉があったから頑張ってこれた」
タイガースの若手は秋山の諦めない姿、野球を好きでいられることの偉大さをその背中から感じ取っているはずだ。
背番号21がタイガースに残したモノは決して小さく、少なくない。
文=チャリコ遠藤(スポーツニッポン・タイガース担当)