ひとつの時代が終わり、新しい巨人が始まった――。
2024年ペナントレースを77勝59敗7分けで終えた巨人が、4年ぶり39度目のリーグ優勝を達成。阿部慎之助監督は、球団創立90周年のメモリアルイヤーに「歴史の継承」と「過去との決別」という一見相反する難しいミッションを無事達成したわけだ。
1993年から2001年の長嶋茂雄監督時代、三期通算17年間にも及んだ原政権まで、巨人は「大型補強時代」だった。とにかく貪欲に移籍市場に出てくる大物選手を獲りまくる。地上波テレビ時代のブランド力と圧倒的な資金力を背景に、各チームの四番打者をオーダーに並べてみせた長嶋野球。そして原辰徳監督も小笠原道大やアレックス・ラミレスの在籍時、松井稼頭央や井口資仁といったMLBからの国内復帰組にもオファーを出していたのは知られた話だ。
過剰かつ、豪華なジャイアンツ・バブル。つまり、巨人はもう30年近く、そういう特殊な編成手法がベースにあった。例えチームが停滞しても大型補強で、また一気に土台から構築できてしまう。現に三度監督復帰したタツノリは、賛否あれど人間ブルドーザーのような強引さでチームの「破壊と再生」を繰り返してきた。だが、近年はFA市場で他球団の後塵を拝すことも珍しくなくなり、同時に原政権は終わりを告げた。
そんな時代の変わり目で阿部監督は、2年連続4位のチームを就任1年目でリーグ優勝に導いたわけだ。野手陣は終盤に3・4番コンビを組んだ岡本和真(打率280・27本塁打・83打点・OPS.863)と吉川尚輝(打率287・5本塁打・46打点・OPS.718)がフル出場でチームを牽引して、坂本勇人の不振をカバー。捕手は岸田行倫が昨季の46試合から88試合へと出番が急増した(ただし、昨季までの正捕手・大城卓三の起用法には賛否が分かれるところだろう)。
投手陣では来季35歳のメジャー挑戦の意思を表明した菅野智之が、15勝3敗とひとりで「貯金12」を稼ぎ、4年ぶりの最多勝を獲得。初の開幕投手を務め、12勝を挙げて156奪三振で自身二度目の最多奪三振のタイトルに輝いた24歳の戸郷翔征とダブルエースを形成した。ブルペンではクローザーの大勢が5月4日に右肩違和感で離脱するも、6月30日に戦列復帰すると43登板で29セーブ、防御率0.88、奪三振率11.85と盤石。リリーフ陣は同一球団で20ホールド5名(バルドナード26、高梨雄平25、船迫大雅22、ケラー20、西舘勇陽20)というプロ野球新記録を樹立する。
特に昨季の巨人は右オーバーハンドの中継ぎ投手が極端に手薄で、23年シーズンは50試合で防御率3.40の菊地大稀、33試合で防御率6.59の鈴木康平、30試合で防御率5.51の田中千晴と崩壊状態だったが、ここに阪神を自由契約になり、巨人がすぐ獲得に動いたカイル・ケラーがしっかりハマった。背番号33は52試合で防御率1.53。序盤は二軍落ちも経験したが、シーズン中盤以降は、セットアッパーとして獅子奮迅の活躍。阪神戦では6登板で防御率0.00と古巣を完璧に抑えてみせた。一昔前のように他球団の四番やエースの助っ人選手をジャイアンツマネーで引き抜くのではなく、リリースされた中継ぎ外国人投手を適材適所で補強する。まさにケラーは阿部巨人を象徴する存在となった。
そして、忘れてはならないのが、35歳丸佳浩の安定感である。優勝したことで忘れられがちだが、2024年の巨人外野陣は春先からアクシデント続きだった。まず開幕直前に新外国人選手のオドーアが電撃退団へ。メジャー178発男も、オープン戦では打率.176と日本野球の対応に苦戦。二軍調整を拒否しての退団だったが、開幕戦では代役のベテラン梶谷隆幸が「3番右翼」で出場すると、美技に1号2ランと攻守に大活躍。しかし、その梶谷も左膝の違和感で直後に登録抹消。若手陣もオープン戦では打率4割を残したルーキーの佐々木俊輔、2年目の萩尾匡也らが先発のチャンスを与えられるもレギュラー定着まではいたらず、4月28日のDeNA戦から開幕7番だった丸を1番で起用する。
今となっては意外だが、この頃の貧打に苦しみひたすら送りバントを多用していた阿部野球には、東京ドームの客席も冷めた雰囲気が漂っていたのは事実だ。それが5月下旬に緊急補強した新外国人エリエ・ヘルナンデスが一軍合流すると、空気が一変する。当初は「1番右翼・丸、2番中堅・ヘルナンデス」だったのが、6月27日のDeNA戦から「1番丸、2番吉川、3番ヘルナンデス、4番岡本」という並びで固定されると、7月の巨人は月間14勝6敗と大きく勝ち越した。
しかし、56試合で打率.294、8本塁打、30打点と堂々と中軸を担っていたヘルナンデスは8月11日の中日戦で、センターの守備時に左手首を骨折。長期離脱となってしまう。すると、8月13日からは丸が慣れ親しんだセンターに入る。勝負どころの夏場に19歳の浅野翔吾を右翼スタメンで使い続け、新外国人のココ・モンテスを経験のほとんどない左翼起用できたのも、その土台に丸がいてくれたからだ。終盤の阪神や広島との優勝争いの渦中でも不動のトップバッターに座り、若いチームを牽引。終わってみれば年間を通して外野の大黒柱としてチームを支え、138試合に出場。打率.278・14本塁打・45打点・OPS.756。35歳ながらも走塁面でも高いレベルを保ち、8盗塁は吉川、門脇誠に次ぐチーム3位である。
昨季は11年ぶりに規定打席に届かず打率.244に終わり、契約更改では1億7000万円の大減俸となる推定2億8000万円でサイン。こうなると巨人に来たFA選手の多くは、徐々にチーム内の序列が下がり静かにフェードアウト…というケースも多かったが、レギュラーの座も確約されていない崖っぷちの背番号8は、開幕戦の「7番・左翼」から、着実に自身の存在価値を上げていった。いわば、この男こそ大型補強時代の最後の生き残りだ。
過去と未来を繋ぎ、中軸の岡本や吉川の負担をワリカンしつつ、坂本の不振をカバーして、時に自ら中心となり試合を決める。主役にも脇役にもなれて、上と下の世代を繋げる選手――。阿部巨人の優秀な中間管理職プレーヤー。百戦錬磨の原前監督をして「彼のペースにジャイアンツの選手が巻き込まれている雰囲気があるね」と驚かせた仕事人の面目躍如だ。いつの時代も組織にこういう人材がいると、現場は重宝するものだ。
移籍1年目の2019年は5年ぶりのリーグ優勝の原動力に。そして、巨人6シーズン目の今季は4年ぶりVに大きく貢献した。まさに“令和の優勝請負人”である。
そんな丸だが、ソフトバンクと対戦した19年の日本シリーズは打率.077、20年は打率.133と大ブレーキ。酷なようだが2年越しの屈辱の8連敗の一因となってしまった。通算2000安打まで、あと158安打。300本塁打まで、あと17本。来季は背番号8にとって記録づくめの1年になる可能性も高いが、その前にこの秋のポストシーズンの大仕事、巨人12年ぶりの“日本一奪還”が丸佳浩のバットに懸かっている。
文=中溝康隆(なかみぞ・やすたか)
2024年ペナントレースを77勝59敗7分けで終えた巨人が、4年ぶり39度目のリーグ優勝を達成。阿部慎之助監督は、球団創立90周年のメモリアルイヤーに「歴史の継承」と「過去との決別」という一見相反する難しいミッションを無事達成したわけだ。
1993年から2001年の長嶋茂雄監督時代、三期通算17年間にも及んだ原政権まで、巨人は「大型補強時代」だった。とにかく貪欲に移籍市場に出てくる大物選手を獲りまくる。地上波テレビ時代のブランド力と圧倒的な資金力を背景に、各チームの四番打者をオーダーに並べてみせた長嶋野球。そして原辰徳監督も小笠原道大やアレックス・ラミレスの在籍時、松井稼頭央や井口資仁といったMLBからの国内復帰組にもオファーを出していたのは知られた話だ。
過剰かつ、豪華なジャイアンツ・バブル。つまり、巨人はもう30年近く、そういう特殊な編成手法がベースにあった。例えチームが停滞しても大型補強で、また一気に土台から構築できてしまう。現に三度監督復帰したタツノリは、賛否あれど人間ブルドーザーのような強引さでチームの「破壊と再生」を繰り返してきた。だが、近年はFA市場で他球団の後塵を拝すことも珍しくなくなり、同時に原政権は終わりを告げた。
そんな時代の変わり目で阿部監督は、2年連続4位のチームを就任1年目でリーグ優勝に導いたわけだ。野手陣は終盤に3・4番コンビを組んだ岡本和真(打率280・27本塁打・83打点・OPS.863)と吉川尚輝(打率287・5本塁打・46打点・OPS.718)がフル出場でチームを牽引して、坂本勇人の不振をカバー。捕手は岸田行倫が昨季の46試合から88試合へと出番が急増した(ただし、昨季までの正捕手・大城卓三の起用法には賛否が分かれるところだろう)。
投手陣では来季35歳のメジャー挑戦の意思を表明した菅野智之が、15勝3敗とひとりで「貯金12」を稼ぎ、4年ぶりの最多勝を獲得。初の開幕投手を務め、12勝を挙げて156奪三振で自身二度目の最多奪三振のタイトルに輝いた24歳の戸郷翔征とダブルエースを形成した。ブルペンではクローザーの大勢が5月4日に右肩違和感で離脱するも、6月30日に戦列復帰すると43登板で29セーブ、防御率0.88、奪三振率11.85と盤石。リリーフ陣は同一球団で20ホールド5名(バルドナード26、高梨雄平25、船迫大雅22、ケラー20、西舘勇陽20)というプロ野球新記録を樹立する。
特に昨季の巨人は右オーバーハンドの中継ぎ投手が極端に手薄で、23年シーズンは50試合で防御率3.40の菊地大稀、33試合で防御率6.59の鈴木康平、30試合で防御率5.51の田中千晴と崩壊状態だったが、ここに阪神を自由契約になり、巨人がすぐ獲得に動いたカイル・ケラーがしっかりハマった。背番号33は52試合で防御率1.53。序盤は二軍落ちも経験したが、シーズン中盤以降は、セットアッパーとして獅子奮迅の活躍。阪神戦では6登板で防御率0.00と古巣を完璧に抑えてみせた。一昔前のように他球団の四番やエースの助っ人選手をジャイアンツマネーで引き抜くのではなく、リリースされた中継ぎ外国人投手を適材適所で補強する。まさにケラーは阿部巨人を象徴する存在となった。
阿部巨人の優秀な中間管理職プレーヤー
そして、忘れてはならないのが、35歳丸佳浩の安定感である。優勝したことで忘れられがちだが、2024年の巨人外野陣は春先からアクシデント続きだった。まず開幕直前に新外国人選手のオドーアが電撃退団へ。メジャー178発男も、オープン戦では打率.176と日本野球の対応に苦戦。二軍調整を拒否しての退団だったが、開幕戦では代役のベテラン梶谷隆幸が「3番右翼」で出場すると、美技に1号2ランと攻守に大活躍。しかし、その梶谷も左膝の違和感で直後に登録抹消。若手陣もオープン戦では打率4割を残したルーキーの佐々木俊輔、2年目の萩尾匡也らが先発のチャンスを与えられるもレギュラー定着まではいたらず、4月28日のDeNA戦から開幕7番だった丸を1番で起用する。
今となっては意外だが、この頃の貧打に苦しみひたすら送りバントを多用していた阿部野球には、東京ドームの客席も冷めた雰囲気が漂っていたのは事実だ。それが5月下旬に緊急補強した新外国人エリエ・ヘルナンデスが一軍合流すると、空気が一変する。当初は「1番右翼・丸、2番中堅・ヘルナンデス」だったのが、6月27日のDeNA戦から「1番丸、2番吉川、3番ヘルナンデス、4番岡本」という並びで固定されると、7月の巨人は月間14勝6敗と大きく勝ち越した。
しかし、56試合で打率.294、8本塁打、30打点と堂々と中軸を担っていたヘルナンデスは8月11日の中日戦で、センターの守備時に左手首を骨折。長期離脱となってしまう。すると、8月13日からは丸が慣れ親しんだセンターに入る。勝負どころの夏場に19歳の浅野翔吾を右翼スタメンで使い続け、新外国人のココ・モンテスを経験のほとんどない左翼起用できたのも、その土台に丸がいてくれたからだ。終盤の阪神や広島との優勝争いの渦中でも不動のトップバッターに座り、若いチームを牽引。終わってみれば年間を通して外野の大黒柱としてチームを支え、138試合に出場。打率.278・14本塁打・45打点・OPS.756。35歳ながらも走塁面でも高いレベルを保ち、8盗塁は吉川、門脇誠に次ぐチーム3位である。
昨季は11年ぶりに規定打席に届かず打率.244に終わり、契約更改では1億7000万円の大減俸となる推定2億8000万円でサイン。こうなると巨人に来たFA選手の多くは、徐々にチーム内の序列が下がり静かにフェードアウト…というケースも多かったが、レギュラーの座も確約されていない崖っぷちの背番号8は、開幕戦の「7番・左翼」から、着実に自身の存在価値を上げていった。いわば、この男こそ大型補強時代の最後の生き残りだ。
過去と未来を繋ぎ、中軸の岡本や吉川の負担をワリカンしつつ、坂本の不振をカバーして、時に自ら中心となり試合を決める。主役にも脇役にもなれて、上と下の世代を繋げる選手――。阿部巨人の優秀な中間管理職プレーヤー。百戦錬磨の原前監督をして「彼のペースにジャイアンツの選手が巻き込まれている雰囲気があるね」と驚かせた仕事人の面目躍如だ。いつの時代も組織にこういう人材がいると、現場は重宝するものだ。
移籍1年目の2019年は5年ぶりのリーグ優勝の原動力に。そして、巨人6シーズン目の今季は4年ぶりVに大きく貢献した。まさに“令和の優勝請負人”である。
そんな丸だが、ソフトバンクと対戦した19年の日本シリーズは打率.077、20年は打率.133と大ブレーキ。酷なようだが2年越しの屈辱の8連敗の一因となってしまった。通算2000安打まで、あと158安打。300本塁打まで、あと17本。来季は背番号8にとって記録づくめの1年になる可能性も高いが、その前にこの秋のポストシーズンの大仕事、巨人12年ぶりの“日本一奪還”が丸佳浩のバットに懸かっている。
文=中溝康隆(なかみぞ・やすたか)