「スポーツ人間模様」 ~稲尾と大谷~
私にとってプロ野球の球団は一つだけ。それは西鉄ライオンズです。
私たちの時代、普通の子供たちが野球をやると背中につける背番号は、長嶋茂雄の「3」か王貞治の「1」でしたが、私は福岡に住んでいたので中西太の「6」をつけていました。一番人気のあったのが「24」。それは稲尾和久投手の背番号です。
当時、九州の少年にとって、稲尾投手と言えばまぎれもないスターでした。
「1シーズン42勝」という、今では考えられない記録を持っています。20勝投手と言いますが、それも難しくなって15勝するのがやっとという現在では考えられないことです。
スポーツも非常に科学的になってきて、登板したら中5日空けないといけないなど、いろいろと言われますが、腕が折れようと投げる時には連投でも投げる。投げると必ず勝つ。それが稲尾投手でした。
昭和33年の巨人との日本シリーズでは、5試合で先発。第3戦以降は5連投して4完投。西鉄3連敗のあと奇跡の4連勝を遂げた牽引力となりました。しかも第5戦では自らサヨナラホームランも放っています。
個人的な話になりますが、父親がローカルブロック紙のスポーツ担当の記者で、稲尾投手と仲良くしていました。3歳頃のことで記憶にないのですがある日、家に遊びに来てくれたそうです。
その時に稲尾さんが持ってきてくれたのが、サインボールでした。いただいたプロ野球の公式ボールには「哲男くんへ」(※正しくは「哲夫」)と書かれていました。
もちろん、書き直して下さいなんて言えませんが(笑)、ただただ嬉しくて…。あの「哲男ボール」は、今でも私の宝物です。
最近の科学的な野球では、投手はほとんどが、完投ではなく、中継ぎや抑えの3~4人で一つのゲームを投げる。古いタイプの人間としてはどうなのだろうと思っていました。
しかし、それを打ち破る稲尾2世が現れたのです。大谷翔平です。
投手として二桁勝利の10勝、打者として22本塁打。稲尾のような漫画の世界。当初、二刀流は批判されていましたが、やり続けている。夢を与えてくれる選手です。
実は古き良き私の幼少時代を大谷選手に見る部分が一つあります。
それは、「ヘアースタイル」。あの髪型は私たちの少年時代の髪型と同じです(笑)。素朴であまりこだわらない感じ。
そんなこともあり、私にとって野球と言えば稲尾さんなのですが、それを継ぐ選手が出てきました。これからも大谷選手には注目していきたいと思います。
(高嶋ひでたけが休暇のため、ピンチヒッターパーソナリティ・鈴木哲夫が担当)