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【夢を叶えた男たちの少年時代】平石洋介楽天イーグルス2軍監督(高校・プロ篇)

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「人の縁に恵まれた野球人生。それしかありません」と平石はしみじみと言う。経歴だけ見れば、輝かしい野球人生。しかし、ふり返ると、一度だけ野球を辞めようと思ったことがあった。PL学園1年の秋。左肩の関節唇を損傷し、手術をしなくてはいけないと言われた時だ。

「『手術をすれば治るかもしれないが、選手生命が終わる可能性もある』と医者から告げられて、落ちるところまで落ちました…。ずっと夢だったプロ野球選手になれないかもしれない。それどころか、野球を続けられるかどうかもわからないのか…。両親は泣きながら『野球を続けてくれるなら、マネージャーでも何でもいいから』と言いましたが、どうしようかと気持ちだけが焦っていました」。

寮生活で、相談する相手がいない。「肩が痛い。野球を辞めたい。自信がない…」。

この時、平石は便せん5枚にも渡る、長い手紙を兄・光一郎(当時・大学生)に書いている。大阪に来て初めて、表に出した「弱気」だった。

「ただごとではない…」。手紙を読んだ光一郎が、翌朝一番の飛行機で東京からかけつけてくれた。そこで言われた一言を、平石は今でもはっきりと覚えている。

「辞めたかったらやめたらいい!お前にどうしても野球やって欲しいなんて、誰も思ってないわ!」

これで完全に目が覚めた。そして決意が固まった。

「手術をしよう。もう一度、一から頑張ろう」と。

 

自分には支えてくれる家族がいる。そのことを思い出した。

「兄の一言でだいぶ楽になりました。自分で背負いこんでいたけれど、家族に甘えてもいいんだって。福岡の病院で手術をし、ボールも握れない状態から半年間、リハビリをしました」。その後の活躍は前述のとおり。あの時の一言がなければ、平石の野球人生は全く違うものになっていたはずだ。やはりここでも、家族の支えに、救われた。

高2の春に左肩を手術。同8月、まだキャッチボールもできない平石が新主将に選ばれた。満場一致だった(高3春・夏の甲子園を果たす)
高2の春に左肩を手術。同8月、まだキャッチボールもできない平石が新主将に選ばれた。満場一致だった(高3春・夏の甲子園を果たす)


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