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「文武両道 ービジネス界で活躍する元球児ー」澤井芳信さん(前編)

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——野球のプレーの面ではどうでしたか?
澤井「自分も肩には自信があったのですが、ピッチャーの古岡(基紀・元ヤマハ)とキャッチャーの吉見(太一・元西武)のキャッチボールを見た時は上には上がいると思いました。でも自分もやる気満々で、入学前から練習に参加させて欲しいとお願いしたりしていたこともあって、早いうちからメンバーに入れてもらえたりして、それは自信になりましたね」

——そこからキャプテンになり、甲子園でも準優勝までされるわけですが、何がうまくいったから結果が出たと思いますか?
澤井「まずチームとしては決してすごく上手い選手が集まったわけではないですが、意識の高い選手が多かったと思います。勉強や普段 の生活習慣が全て野球に繋がると思って取り組んでいましたね。色々ルールも決めていましたが、それもやらされるのではなく自分たちで考えていました。その ルール自体がどうこうではなくて、チームでめたことだからしっかり守ろうと。そういうところが野球にも繋がったと思いますね」

甲子園で準優勝という輝かしい実績を残した京都成章時代
甲子園で準優勝という輝かしい実績を残した京都成章時代

——意識の高さ以外には?
澤井「個人的なことでは、今考えるとコミュニケーションがしっかりできていたと思います。監督も当然厳しかったですが、疑問に感じたことはそれでも聞くようにしていました。小さなことですが、甲子園の大会期間中もコンビニだけは行かせてほしいということもお願いしましたね(笑)」

——ちなみに子どもの頃から高校時代まで、ご両親が進路や野球について何か言われたりしたことはありましたか?
澤井「一切なかったです。小学校の時にサッカーのスパイクを買ってほしいと 言った時に母親から『なんでサッカーの分も必要なの?』と言われたくらいで すね。野球に関しても進路に関しても特に言われませんでしたし、あまり勉強しろとも言われたことはありません。いつも自分で決めていましたし、それを見守っていてくれていたという感じです。だから嫌になったりしなかったというのもあるかもしれませんね」

子どもの頃から高校時代まで「あまり勉強しろとも言われたことはありません」と当時を振り返る澤井さん
子どもの頃から高校時代まで「あまり勉強しろとも言われたことはありません」

(取材:西尾典文/撮影:編集部)



プロフィール

澤井芳信
1998年、京都成章の「一番・ショート・主将」としてチームを率い、春夏連続で甲子園出場。夏には決勝まで駒を進め、”怪物”松坂大輔を擁する横浜高校と対戦し準優勝。高校卒業後は同志社大へ進み、社会人野球のかずさマジック(現・新日鐵住金かずさマジック)でプレーした後、スポーツマネジメントの会社に転職。現在は株式会社スポーツバックス 代表取締役を務める。

株式会社スポーツバックス
http://www.sportsbacks.com/


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