両親も手探りだった高校時代の「食トレ」
プロ1年目から埼玉西武のレギュラーに定着し、新人としては史上4人目の全試合フルイニング出場を果たした源田壮亮選手。2リーグ分立後の新人史上2位となる155安打を放ち打数、三塁打数は堂々のリーグトップ。打者として球団の新人記録も次々に塗り替えるなどして、文句なしの2017年パ・リーグ新人王に輝いている。さらに11月には侍ジャパンのトップチームにも初選出され、ルーキーイヤーにして日本屈指の内野手となった。
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体が小さかった大分商業1年頃まで「高校で野球を辞めて大分で就職しよう」と考えていたという源田選手だが、その後の1年半ほどで身長は20センチ近く伸びた。身長を手にしたことでもともと非凡な守備センスを持っていた源田選手は、たちまち大分県を代表する高校球児として騒がれるようになった。
同じ学年の大分県には山野恭介投手(明豊→広島※現打撃投手)、甲斐拓也捕手(楊志館→福岡ソフトバンク)ら注目の存在がゴロゴロ存在したが、最大の目玉は2010年にドラフト3位で巨人入りした大分工・田中太一投手(現セガサミー)だった。当然、プロスカウトの多くが田中投手を視察に何度も大分を訪れているが、源田選手は大勢のスカウトの前で田中投手を打ち込んだことでスカウトの目に留まり、もともと持っていた俊足と高い守備力を評価されるようになった。
この間、源田選手の体を大きくしたいと考えて肉中心の食事を提供していた光明さんと靖子さんだが、当時の源田選手は食が細かったために苦労したのだという。靖子さんが証言する。
「今でも“スイーツ王子”なんて呼ばれているようですが、本当に甘いものが大好きで、試合後も必ずケーキを買って帰っていました。朝からケーキでもいいぐらいの子でしたからね。高校の食い込み合宿の前ぐらいです。練習といって一生懸命食べていたのは」
一方で父の光明さんは巨大化を図りつつも一抹の危惧も抱いていた。
「彼はスラッガータイプではありません。当時から足を活かして、というタイプだったので、あまり横は大きくならなくてもいいかなと思っていました。今は栄養学も普及しているので筋肉を大きくするための食事メニューも知れ渡るようになっていますが、当時ははっきり言って何を食べさせていいのかもわからない時代です。そのへんの怖さは感じていました」
以前、別の取材で源田選手のチームメイトでもある山川穂高選手が「好きな時に好きなものを食べる。ストレスになるぐらいなら食事に関して制限をかけなくていい」と語ってくれたことがあった。両親ともに「私たちは何の工夫もしていない。壮亮は自然児のまま育った」と断言しているだけに、源田選手もストレスフリーでのびのび育ったことが体の成長、そして選手としての成長に繋がったのかもしれない。`
体が小さかった高校1年頃まで「高校で野球を辞めて大分で就職しよう」と考えていたという源田選手だが、その後の1年半ほどで身長は20センチ近く伸びた。身長を手にしたことでもともと非凡な守備センスを持っていた源田選手は、たちまち大分県を代表する高校球児として騒がれるようになった。
同じ学年の大分県には山野恭介投手(明豊→広島※現打撃投手)、甲斐拓也捕手(楊志館→福岡ソフトバンク)ら注目の存在がゴロゴロ存在したが、最大の目玉は2010年にドラフト4位で巨人入りした大分工・田中太一投手だった。当然、プロスカウトの多くが田中投手を視察に何度も大分を訪れているが、源田選手は大勢のスカウトの前で田中投手を打ち込んだことでスカウトの目に留まり、もともと持っていた俊足と高い守備力を評価されるようになった。
この間、源田選手の体を大きくしたいと考えて肉中心の食事を提供していた光明さんと靖子さんだが、当時の源田選手は食が細かったために苦労したのだという。靖子さんが証言する。
「今でも“スイーツ王子”なんて呼ばれているようですが、本当に甘いものが大好きで、試合後も必ずケーキを買って帰っていました。朝からケーキでもいいぐらいの子でしたからね。高校の食い込み合宿の前ぐらいです。練習といって一生懸命食べていたのは」
一方で父の光明さんは巨大化を図りつつも一抹の危惧も抱いていた。
「彼はスラッガータイプではありません。当時から足を活かして、というタイプだったので、あまり横は大きくならなくてもいいかなと思っていました。今は栄養学普及しているので筋肉を大きくするための食事メニューも知れ渡るようになっていますが、当時ははっきり言って何を食べさせていいのかもわからない時代です。そのへんの怖さは感じていました」
以前、別の取材で源田選手のチームメイトでもある山川穂高選手が「好きな時に好きなものを食べる。ストレスになるぐらいなら食事に関して制限をかけなくていい」と語ってくれたことがあった。両親ともに「私たちは何の工夫もしていない。壮亮は自然児のまま育った」と断言しているだけに、源田選手もストレスフリーでのびのび育ったことが体の成長、そして選手としての成長に繋がったのかもしれない。
1年目に華々しい成績を収めたことで、2年目の源田選手に対する期待値は日に日に高まる一方だ。しかし、親には親なりの心配事が後を絶たない。父・光明さんの息子に対する思いが、すべてを物語っているのではないか。
「とにかく大きな怪我をしないように頑張ってほしいです。高校、大学、社会人時代にハードなトレーニングで蓄えた体力を、昨年はすべて使い果たしたのではないでしょうか。その影響が出てくるかもしれませんが、今シーズンをしっかり乗り切ることができれば、そこそこ名の残る選手になってくれるかもしれません。息の長い選手に、最低でも10年は一線で活躍できる選手になってほしいです」
非常に重要な意味を持つ源田選手の2年目は、埼玉西武ライオンズにとっては10年ぶり日本一を目指すシーズンになる。源田選手の2018年に注目しよう!
(取材・写真:加来慶祐)