ニュース 2019.03.29. 17:00

夢を抱くすべての野球少年に読ませたい、菊池雄星投手「メジャーをかなえた 雄星ノート」

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今季からMLBのシアトル・マリナーズに移籍した菊池雄星投手の初めての著作「メジャーをかなえた 雄星ノート」が文藝春秋から発刊された。この本は単なる伝記ではなく、一人の野球選手が、高校時代からどのように考え、行動し、あこがれのメジャーへと進むことができたかを、克明に記録したものだ。当時の日記やメモもそのまま載せている。

 

中学2年で「プロ野球に行く」


菊地雄星投手は1991年6月17日、岩手県盛岡市生まれ。盛岡東シニアから花巻東高校に進む。
中学2年の時に、「プロ野球に行く」と両親に宣言。両親からは「日記を書くように」とすすめられ、このときから日記を書くようになる。
菊池投手は「日記は書き続けることに意義がある」という。また「自分自身と向き合うきっかけ」にもなるといっている。
「プロ野球選手になる」と決心して日記を書き始めたことで、菊池投手は「自分が今、どの地点に立っているか」そして「今の自分は何をすべきなのか」を常に意識するようになったのだろう。

 

「マンダラチャート」を記入


菊池投手が進学した、花巻東高校の硬式野球部は、生徒に「マンダラチャート」という図表を書かせる。大谷翔平選手が、この「マンダラチャート」で、「MLB挑戦」「160㎞/hの速球」などの目標を設定していたことは有名だが、3年先輩の菊池投手も高校2年の時に「マンダラチャート」を書いている。
「マンダラチャート」は、9×9の81マスの中心に達成したい目標を記入し、その周辺に夢をかなえるために「やるべきこと」を記入する。
菊池投手は「高卒でドジャース入団」という目標を立て、その周囲に「実戦で使えるピッチャー」「体作り」「コントロール向上」「愛されるプレーヤー」「甲子園で優勝」などの大きな目標を設定し、その周囲にさらに具体的な目標を設定している。
いかにも高校生らしい力強い筆跡からは、当時の菊池選手が真剣に夢を追いかけていたことが伝わってくる。
1年生の2007年夏の甲子園で、速球派の投手として注目された菊池投手は、3年生の2009年春の甲子園で、岩手県勢では初の決勝進出を果たす。優勝は成らなかったが、菊池選手は「マンダラチャート」に書いた通り、MLBに直接挑戦すると宣言。
しかし、この夢はかなえられず、菊池投手は高校屈指の左腕として2009年ドラフト1位で西武ライオンズに入団した。

 

メンタルコーチとの出会い


プロ入りしてからの菊池投手は、必ずしも順調とは言えなかった。制球難に悩まされたり、左肩痛で投げられない時期もあり、低迷した。
しかし2013年にオリンピックのメンタルコーチとして知られる山家正尚コーチの指導を受けてから立ち直るようになる。
山家コーチは菊池選手に「理想の自分の作り方」という用紙を記入して、自分を見つめなおさせた。
2013年には9勝、2016年12勝と勝ち星は上がり、菊池投手は西武ライオンズのエース、パ・リーグ屈指の左腕へと成長していく。

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