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星稜・奥川投手のお母さんに聞いた、子育て、教育方針(後編)

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今夏の甲子園で大会ナンバーワン投手の称号にふさわしい活躍を見せた奥川恭伸投手(星稜)。投手としての凄さはあらゆる数字で証明されていますが、マウンドでの立ち振る舞い、周囲への謙虚な姿勢など、能力以外でも“ナンバーワン投手”である姿も目立ちました。その根底にあるものを探るべく、お母さんの真由美さんに、奥川投手の幼少期のことや教育方針などについてお話を聞かせていただきました。




■野球のきっかけは7歳上の兄


産まれた時は4000グラム超えのジャンボベビーだった。だが、足が長く、すらりとした体型で、真由美さんいわく「体が締まっている4キロの赤ちゃん」だったという。ミルクをとにかくよく飲み、1度に1本半(200mlと半分)を飲むことはしょっちゅう。幼いころから食欲は旺盛で、とにかくよく動き回る子どもだった。
そんな恭伸君の目線の先には、いつも7歳上の兄、圭崇さんの姿があった。
すでに学童野球チームに入っていた兄の姿を目で見て動きを真似するようになり、野球中継をテレビで見ては、気になったバッターの身振り手振りをマネしながら家でバットを振ることもあった。
兄の学童野球に連れて行けば、そばでキャッチボールをしてみせた。「周囲に、『僕も投げられるんだぞ!』っていう猛アピールですね」と真由美さんは笑うが、中学に進んだ兄の練習を一緒に見に行って、ブルペンに入って投げることもあった。

大好きだったという打撃が上達した裏には、真由美さんの“特訓”があった。
「小学校から中学校の初めくらいまで、自宅内でスポンジボールを投げて、打つ練習をやっていたんです。でも学年が上がるごとにボールが当たると痛くなるので、私がヘルメットを被ってティーを上げていました。そうしたらわざと私に当てようとして打ってくるんですよ(笑)。そんなことをしていたら、そのまま上達していって(笑)」。

■小学校ではガキ大将


幼いころから体が大きい方だったということもあり、飛ばす力も平均以上だった。そんな中でも野球を始める時に交わしていた“勉強が1番。野球は2番”という家族での約束も守り、塾にも通いながら好きな野球に没頭していた。
ただ、小学校高学年までは真由美さんが頭を抱えた時期もあった。
「4、5年生くらまでは、ハチャメチャと言うか、ガキ大将というか…。もともと思ったことをガッと言うタイプで、同級生の子を傷つけることが多かったんです。お菓子を持って謝りに行くこともありました。そのたびに“相手に思いやりを持ちなさい”と、特に厳しく言うようになりました」。

■細かく注意した、受け答えと言葉遣い


中学3年になると軟式の全中大会で優勝を果たしたが、そこで取材を受ける機会が増え、目上の人とも会話をすることが多くなった。そんな中、真由美さんは「言葉を選んで、こういう受け答えはダメだとか、上を目指したいならちゃんと対応できるようにならないといけないよ、とも言ってきました」と言葉遣いに関しては細心の注意を払ってきた。相手を思い、敬意を表す気持ちの大切さは、場数を踏みながら恭伸君の中でもしっかりと育まれてきたのだ。
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