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【京都国際】日本ハムドラフト3位、上野響平に聞いた「僕の少年野球時代」

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ドラフト会議で日本ハムから3位指名を受けた上野響平選手。172cm、68kgと体は決して大きくはありませんが、守備範囲の広さ、フットワークの軽さが高く評価されている遊撃手です。そんな上野選手は、どういうきっかけで野球に触れ、野球に魅力を感じるようになったのでしょうか? 幼少時代から自身の歩みを振り返ってもらいました。




■小さい頃から打つより守備が好きだった


出身は大阪府貝塚市。祖父と父親が野球を見るのが好きで、家ではずっとプロ野球のテレビ中継が流れていた。子どもの頃はゲームにはまりがちな子も多いが、上野はゲームには一切興味はなく、外で遊ぶことが好きだった。
「みんなで鬼ごっこをするとか、ボール遊びがほとんどでした。基本的に走り回っていることが多かったです」。野球を始めたのは小学校1年生の時。地元の貝塚スポーツ少年団西地区(軟式チーム)に入団した。4年生まではボールに慣れる目的で、三角ベースなどで野球の楽しさに触れた。「ひとつのボールをみんなで追いかけるのが楽しかった」。打って投げて遊び感覚でプレーしていたが、そのうち上野は打つことよりも捕球することに楽しさを覚えるようになった。
「今でもそうなんですけれど、打つ方より守備が好きでした。それに気づいたのが小学校高学年の時です。バッティング練習は、みんな順番に打つのを並んで待っていますけど、守備は待つこともなくて、動いているうちに人が打った打球をさばけるところもいいと思ったんです」。

小学校高学年になると、大会出場を目指し練習が徐々に厳しくなった。上野は4年生からショートを守るようになったが、当時から6年生のいるレベルの高いチームに入ってプレーする機会が多かった。5年生になると肩の強さを買われてキャッチャーも務めた。打順は小学校の頃から1番か3番で、当時からチームの主軸打者としても期待は高かった。練習は土日のみ。土曜日は午後からの練習だが、日曜日は朝から夕方までみっちり練習した。高学年になると結果も求められるため、厳しく指導されることもあったが「結果が出なかったら悔しかったけど、怒られるというより指導者から厳しく言われて気づかされることも多かった」と上野は前向きに受け止め、次のプレーに生かした。

■30の高校から声をかけられた中学時代


ショートを守る時のプレースタイルのお手本は鳥谷敬(阪神)選手だった。中学になると、同じ体格で右打者の今宮健太選手を意識するようになり、何度も動きを真似した。「今宮さんは大胆なプレーもありますが、エラーをしない」と堅実さに惹かれたからだ。

幼いころから体は大きい方ではなかった。身長を伸ばしたくて牛乳をよく飲み、1日1リットルの紙パックを空けることも多かった。ただ、食べても太らない体質で今でも体を大きくするのは苦労しているという。

中学のチームを選ぶ基準は「硬式」だった。「高校では硬式をやると決めていたので、一番近くでレベルの高いチームに行きたかった」。その答えが貝塚シニアだった。当時は甲子園に行きたいというよりも、プロに行くことが目標だった。そのため、まずは中学で硬式を3年間頑張ろうと決めていた。ただ、いざ入部してみると軟式から硬式に慣れるには、苦労は少なくなかった。「守備では問題なかったのですが、バッティングですね。球も重たいし金属バットを振るのがしんどかったです。特に自分は体が小さくて、どうやって飛ばせばいいのかばかり考えながらやっていました」。

中学3年の時は、実は約30校の高校から声を掛けられたという。そんな中、練習を見に行き、最後まで誘ってくれたのが京都国際だった。ただ、当初は近畿圏の高校には行かないつもりだった。「親元を離れて、寮生活がしたかったんです。まず、大阪の高校は考えていなくて、東北など遠いところに行きたかったんです」。ただ、京都国際は曽根海成内野手(広島)などプロに進んだ内野手も多く、ここでなら成長していけると覚悟を決めたという。

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