今年7月に発足したばかりの中学硬式野球クラブ「東横ポニー BayWinds」(横浜市港北区)。チームスローガンは「Let's go all out!(本気出そうぜ!)」。チームを立ち上げたのはヤキュイクにも度々ご登場いただいている廣川寿さん。選手5人でスタートして、8月からは新たに1名が入部。現在は6人で活動を行っています。
「『ほどほどの努力』に対する『そこそこの成果』に満足するのではなく、もっと⾃分⾃⾝の将来に期待して、泥臭く、⽬の前のことに対して本気で取り組む。本気で取り組み続けることで⾃⾝の成⻑を感じ、課題を⾒つけ、結果に誇りを持ち、また新たな挑戦に乗り出す。野球を通じて、⼦どもたちにこんな体験をさせてあげたいという想いがありました」
チーム発足に込めた想いをそう話す廣川さん。
ちなみにチームで廣川さんを「監督」と呼ぶ選手はいません。選⼿も保護者も「廣川さん」と呼んでいます。なぜなら「監督」、「コーチ」と役職で呼ぶことをチーム内で禁止にしているから。そこには監督と選手の関係性を対等にして風通しの良い開かれた組織にしたい。「監督」は特別な存在ではなくチーム内の役割のひとつに過ぎないという廣川さんの考えがあるから。
チーム発足と同時に⽤意できた道具は「ボール1カゴ」「トレーニング⽤のラダー」「ミニハードル」「マーカーコーン」「ティー打撃⽤のネット」「キャッチボール⽤の新品のボール」だけ。
練習場は背丈よりも高い雑草が生い茂る鶴見川河川敷を、猛暑の中で草刈り機を使って整地しました。草刈りは選⼿や保護者だけでなく、選⼿の兄弟姉妹も参加して行い、みんなで練習場を作り上げました。その広さは縦80メートル、横は25メートルほど。トウモロコシ畑を切り拓いて野球場を作った、まるで映画『フィールド・オブ・ドリームス』のよう。
「選手には『家族みんなに応援される選手になりなさい』と言い続けています。保護者のご理解を頂き、多くの方々のご協力で整備されたこの河川敷は『家族からの応援の証』です。ここで本気で野球を頑張ることが『応援に応えられる選手』になるための第一歩だと思います」
草むらにボールが飛び込めば探さなければいけません。壊れた練習道具も⾃分たちで修理して使っています。不便なようでありながらも「ボールが草むらに飛び込まないようにスローイングにも細心の注意を払う。道具を壊さないように大切に扱う。全てが貴重な経験です」と廣川さんは話します。
「あれがない、これがない、と現状を嘆くのではなく『不便を楽しみながら、⾃分たちの創意⼯夫で道を切り拓く』。『難しいことに挑戦している』という誇りを持ち、能動的により多くの経験を積むみ、生きていくための財産とするために敢えて『何もない」から始めたのですから」
【敢えて「何もない」から始めた】
「『ほどほどの努力』に対する『そこそこの成果』に満足するのではなく、もっと⾃分⾃⾝の将来に期待して、泥臭く、⽬の前のことに対して本気で取り組む。本気で取り組み続けることで⾃⾝の成⻑を感じ、課題を⾒つけ、結果に誇りを持ち、また新たな挑戦に乗り出す。野球を通じて、⼦どもたちにこんな体験をさせてあげたいという想いがありました」
チーム発足に込めた想いをそう話す廣川さん。
ちなみにチームで廣川さんを「監督」と呼ぶ選手はいません。選⼿も保護者も「廣川さん」と呼んでいます。なぜなら「監督」、「コーチ」と役職で呼ぶことをチーム内で禁止にしているから。そこには監督と選手の関係性を対等にして風通しの良い開かれた組織にしたい。「監督」は特別な存在ではなくチーム内の役割のひとつに過ぎないという廣川さんの考えがあるから。
チーム発足と同時に⽤意できた道具は「ボール1カゴ」「トレーニング⽤のラダー」「ミニハードル」「マーカーコーン」「ティー打撃⽤のネット」「キャッチボール⽤の新品のボール」だけ。
練習場は背丈よりも高い雑草が生い茂る鶴見川河川敷を、猛暑の中で草刈り機を使って整地しました。草刈りは選⼿や保護者だけでなく、選⼿の兄弟姉妹も参加して行い、みんなで練習場を作り上げました。その広さは縦80メートル、横は25メートルほど。トウモロコシ畑を切り拓いて野球場を作った、まるで映画『フィールド・オブ・ドリームス』のよう。
「選手には『家族みんなに応援される選手になりなさい』と言い続けています。保護者のご理解を頂き、多くの方々のご協力で整備されたこの河川敷は『家族からの応援の証』です。ここで本気で野球を頑張ることが『応援に応えられる選手』になるための第一歩だと思います」
草むらにボールが飛び込めば探さなければいけません。壊れた練習道具も⾃分たちで修理して使っています。不便なようでありながらも「ボールが草むらに飛び込まないようにスローイングにも細心の注意を払う。道具を壊さないように大切に扱う。全てが貴重な経験です」と廣川さんは話します。
「あれがない、これがない、と現状を嘆くのではなく『不便を楽しみながら、⾃分たちの創意⼯夫で道を切り拓く』。『難しいことに挑戦している』という誇りを持ち、能動的により多くの経験を積むみ、生きていくための財産とするために敢えて『何もない」から始めたのですから」