──中学は腰越中に入学し、野球は硬式クラブチームの横浜泉リトルシニアに入団しました。これはどういった経緯があったのでしょうか。
高瀬 じつは地元の湘南ボーイズに入団するつもりでした。
──全国制覇の経験がある強豪クラブですね。
高瀬 それが、セレクションで落ちてしまったのです。郵便で合否の通知が来たのですが、その結果を見たあと、悠多はひどく泣いていました。親の前で泣くような子ではないので、その日のあいつの涙はずっと忘れないと思います。
──親も子もショックだったと思いますが、そこからどうやって気持ちを上げていったのでしょうか。
高瀬 家の神棚の前に二人で正座をして、こんな話をしました。「いいか、これから3年間、湘クラ(=湘南ボーイズ)と違うチームに行くことになる。3年後に、お前が湘クラに行ったやつより上にいけばいいんだ、わかるか? じゃあ、左手を出せ。左手は野球をする手だ。今度は右手を出せ。いいか、こっちは勉強をする手だ。野球も勉強も頑張れ。おれは絶対に最後まで応援するからな」。悠多の手を握りながら、話をしました。あいつは泣いていたんですけど、こっちも涙をこらえるのに必死でしたね。
──いい話ですね! 情景が浮かんできます。
高瀬 あのときの握手があったから、親も子も3年間頑張れたのかもしれません。最終的には、自分で選んで泉シニアに進みました。シニアの練習は土日のみで、平日は陸上部で活動。塾にも通うようになりました。ただ……、中学生にもなると、男ですから、いろんなヤンチャをするようになります。先生に呼び出されたこともありました。
──男の子の自然な成長かもしれませんね。
高瀬 勉強をかまけていたときには、「中学までは義務教育だから、勉強するのは当たり前なんだよ。高校で勉強をしたくなければ、やらなくていい」と言ったこともあります。
──一番、叱りつけた記憶はありますか?
高瀬 覚えているのは、中学2年生のときに約束を破ったことですね。遊びに行くと言うので、「何時に帰ってくるんだ?」と聞くと、「9時半には帰る」と。でも、その時間を越えて帰ってきたことがありました。
──約束を守ることは、小学生のときから決めていた、高瀬家のルールですね。
高瀬 そのときは厳しく言いました。「親との約束を破ったら、どういうことになるか分かるよな? これで、泉シニアは終わりだ。そもそも、素振りも真剣にやってないだろう? 土日の練習は発表会なんだよ。平日の自主練習があって、土日がある。お前は平日に練習をしていないのに、土日にいいプレーができるわけがないだろう!」。あいつは、泣きながら、謝っていました。