ニュース 2017.06.19. 11:25

【夢を叶えた男たちの少年時代】平石洋介楽天2軍監督(幼少期篇)

洋介少年は、モノマネの名人でもあった。

当時、大分のプロ野球中継と言えば巨人戦。テレビを見ながらジャイアンツの応援歌を歌ったり、選手のモノマネをするのが得意だった。「サインに首を振ったり、牽制球のモノマネもしていましたよ」(姉・京子さん)。憧れの選手たちの形態模写をすることで、自分の野球技術にもつなげていった。
高校野球の応援で、初めて甲子園球場に行ったのは小2の時だった。1988年。エース川崎憲次郎投手(元ヤクルト、中日)擁する津久見が春夏甲子園出場した時だ。

「ライトの福島幸司さんという方が同じ地元出身で、知り合いだったんですよ。別府から大阪行きのフェリーに乗って、オヤジとじいちゃんと応援に行きました。全試合、応援に行きましたよ」。“身近なお兄さん”が大観衆の前でプレーし、応援されている。その光景に胸が高鳴った。この時に初めて「甲子園でプレーしてみたい」という夢が芽生えた。

1番身近なお手本だった兄・光一郎さん
兄・光一郎さんは1番身近なお手本だった。背中を追いかけて洋介少年も同じ野球チームに入団する


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