ニュース 2017.06.29. 11:53

【夢を叶えた男たちの少年時代】平石洋介楽天イーグルス2軍監督(中学・高校篇)

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「洋介は将来有望だぞ!」

大分の強豪チーム「臥牛(がぎゅう)」に幼稚園児の頃から練習参加していた洋介。小6になると、地元で評判の選手になっていた。
ある日、父・功さんの知り合いの野球関係者から、思いがけない話が少年に持ちかけられた。
「どうだ、洋介。日本一強いチームで野球をやってみないか? 田舎にいたんじゃもったいないぞ。大阪にすごいチームがあるんだ」
大阪の名門「八尾フレンド(現・大阪八尾ボーイズ)」への誘いだった。
元巨人、メジャーリーガーの桑田真澄投手を輩出し、全国大会での実績も数多くある強豪チーム。洋介少年は言われるがまま、セレクションを2度受ける。そして、みごと、合格。何度も家族会議を行い、自ら入団を決意するのだが、この時の本心を苦笑いで振り返る。

「日本一のチームでやるか? と聞かれて『やってやろうじゃん!』と。気持ちに火が付いたんですよね。でも自分で言ったあと、本音は不安でいっぱいでした。『本当に大丈夫か?』『やめたほうがいいぞ』とオヤジから言われて、どうしようかな…と。でも行くしかない!引っ込みがつかなくなってしまったことは、今だから言える話ですが…(笑)」

小学6年生で大阪に引っ越すことになった洋介のために友達が開いた送別会
名門「八尾フレンド」に入るため、小学6年生で大阪に引っ越すことになった洋介。友達が送別会を開いてくれた


母方の祖父母が大阪に移り住み、そこで洋介の面倒をみることになった。祖母の英子さんは体が不自由で車いす生活。「でも、洋介のためなら」と、力になることを決意してくれた。

「いろんな人が僕のために、動いてくれている・・・・」
「もう引き戻るわけにはいかない」

12歳なりに、覚悟を感じた洋介。

3月、大分を旅立つ日は胸がいっぱいになった。

別府港発、大阪行きのフェリー「サンフラワー号」乗り場。
たくさんの紙テープが風に揺れ、友達が泣きながら手を振ってくれた。見えている大分の景色が、どんどん小さくなっていった。

「泣いた。号泣でした。友達と、もう一緒に野球をしたり、遊んだりできないのか…と。急に寂しくなった。あとね、船の上から足の不自由なおばあちゃん(ぬいさん)が港の花壇のところに座ってね、顔を手で覆いながら泣いていたのが見えてね・・・。こたえたなぁ。あの光景は忘れられません」。

もう帰ってこれないかもしれない。一緒に乗っていた両親も泣いていた。

泣きながらフェリーを見送ってくれた家族
泣きながらフェリーを見送ってくれた家族、友達の中には、優しかった祖母・ぬいさん(写真左端)の姿もあった


「『蛍の光』が流れてね、寂しさが倍増!(笑)別れの時は、船はアカンね。ずーっと見えているからよけい悲しなったわ~」と、関西弁で笑った。

「サンフラワー号」(船)で出発するときにはたくさんの紙テープで見送ってもらった
甲子園に野球観戦に行く時に使っていた「サンフラワー号」(船)が、この時は涙一色に。たくさんの紙テープで見送ってもらった


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