ニュース 2017.07.06. 17:32

【夢を叶えた男たちの少年時代】平石洋介楽天イーグルス2軍監督(高校・プロ篇)

情熱をこめて、時に献身的に。選手たちと真正面で向き合う姿は、どこか父親のようにも映る。実生活では3児の父親。野球で教わった学びは、家庭での子育てにも生きている。

「食事をする時の姿勢とか、相手の目を見て話しなさいとか、基本的なことは野球で教えられたことばかりです。できていないと、つい怒っちゃうんですよね。本当は優しくしたいんですが…」

妻・良子夫人からは「ふだん(遠征で)いないんだから、いる時くらいはもっと優しくしたりぃや!(関西弁)」と怒られるそうだ。ある日、育児を交代して、3人の子供を風呂に入れたこともあったが、全くうまくいかなかった。「順番に体を洗っていたら、末っ子が湯船の中でおぼれかけていた。おーい、助けて。誰か来て~!ってね。毎日こんな大変なことを嫁はしていたんだなって思いました」。野球で鍛えてきたことが、家では全く役に立たないと思った瞬間だ。口に出して言うことは少ないが、妻に対しても感謝の気持ちを忘れたことはない。

ファームの選手を鍛えながら、家庭では3人の子育てに奮闘する平石。共通しているのは、人に対して真正面から向き合っているところだ。それは、今まで、野球を通じて自分が周りの大人たち、そして、仲間たちにしてきてもらったこと。すべてである。

「何が正解かはわからない。でも自分で決めた道を、最後まで貫くことに価値があると思うんです。自分は高校時代レギュラーじゃなかった。だけど、こういう道もある」。

同志社大では1年春からレギュラーに入りしリーグ打率2位を残した。4年秋にはプレーオフ進出。主将としてチームを低迷期から押し上げた(写真左は京都成章高校出身の同級生の澤井芳信選手)



トヨタ自動車時代、現オリックスのエース金子千尋投手との写真
2年間在籍したトヨタ自動車では、都市対抗、日本選手権に出場。3割を超える打率で社会人野球の日本代表にも選ばれた(握手しているのは現オリックスのエース金子千尋投手)


年に1回大分に帰って、家族で集まると、お酒が入って思い出話に花が咲くそうだ。12歳で家を出て、自分が野球に打ち込んでいる間、平石家はいろいろなことがあったようだ。父が好きなゴルフを止めていたり、お酒を安い酒に替えていたり、お金のやりくりに苦労していたんだな…。平石はそんな話を、だいぶ後になって知った。

今では全て笑い話。両親も年をとり、シワが増えた顔をみるたびに健康で長生きして欲しいと感じる。

「家族の力は、偉大です」

いま改めて、そのことを、噛みしめている。

遠くから、温かく見守ってくれた両親。元気で長生きをして欲しい。親孝行はまだできていないから
遠くから、温かく見守ってくれた両親。元気で長生きをして欲しい。親孝行はまだできていないから


(撮影/松橋隆樹 取材・文/樫本ゆき *高校・現役時代の写真は提供写真)




プロフィール
ひらいし・ようすけ/1980年4月23日。大分県出身。175cm、75kg。左投左打。臥牛(少年野球)-八尾フレンド(大阪八尾ボーイズ)-PL学園。中、高校時代は主将、外野手として活躍。高3春夏に甲子園出場。ともに横浜高校と対戦し敗戦を味わう。同志社大-トヨタ自動車を経て04年ドラフト7位で東北楽天ゴールデンイーグルス入団。11年に現役引退後、育成コーチ、2軍外野コーチ(12年)、1軍打撃、走塁コーチ(14年)、2軍監督(15年)。A型。家族は妻、1男、2女。

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