——まず澤井さんが野球を始めたきっかけを教えてください。
澤井「7歳上の兄が野球をやっていたこともあって自然と野球が好きになって、小学校3年生の時に地元の軟式野球のチームに入りました」
——地元では強豪チームだった方ですか?
澤井「いえ、それがめっちゃ弱くて(笑)。試合でほぼ勝ったことがなかったで すね。自分たちの時はピッチャーが全然ストライク入らないくらいのレベルという こともあってか、監督に厳しく言われることもほとんどなかったですね。」
——中学では硬式野球チームに進んだのですか?
澤井「中学でもそのまま地元の公立学校の(軟式)野球部に入りました。そこも市内の大会でもなかなか勝てないチームでした。そんな環境だったからかもしれませんが、野球が嫌になるということは全くなくて、特に少年野球の頃は土日にしか練習が無くて、練習が楽しみでしょうがなかったですね」
——小学生時代、野球以外の習い事は何かされてましたか?
澤井「足腰を鍛えたいというのと友達がやっていたこともあって小学校の 5、6 年の 2 年間だけ、小学校のスポーツ教室でサッカーも並行してやっていました。 当時のコーチからは中学校でもサッカー続けろとも言われたんですが、そこは迷いなく野球を選びましたね。野球のために足腰鍛えたかったので。
——勉強の成績はどうでしたか?
澤井「体育以外は本当に普通でしたね。高校受験のために中学の時に学習塾に通い始めて少し良くなったくらいですね」
——そんなに強くないチームから京都成章に進まれたのは何がきっかけだったのですか?またそこで苦労したことはなかったですか?
澤井「中学の先生から練習会があるという話を聞いて、それに参加したのがき っかけです。ちょうどその年が成章が初めて甲子園に出た年ですね。他にもい い選手が来てましたが、自分も結構いいプレーができました。進学校であり、野球も強い。すぐに京都成章に決めました。もちろんちゃんと受験して合格しましたよ。
入部当初は上下関係の厳しさに嫌になったこともありましたね。当時の成章は入学するのにそんなに難しいわけではなかったのですが、『入学してから勉強を鍛える』という方針だったので、野球の練習以外に授業も大変でしたね。学校は自宅から遠くて 朝も早かったですし、辛くて通学している時にこのまま帰りたいなと何度も思いましたね」
澤井「7歳上の兄が野球をやっていたこともあって自然と野球が好きになって、小学校3年生の時に地元の軟式野球のチームに入りました」
——地元では強豪チームだった方ですか?
澤井「いえ、それがめっちゃ弱くて(笑)。試合でほぼ勝ったことがなかったで すね。自分たちの時はピッチャーが全然ストライク入らないくらいのレベルという こともあってか、監督に厳しく言われることもほとんどなかったですね。」
——中学では硬式野球チームに進んだのですか?
澤井「中学でもそのまま地元の公立学校の(軟式)野球部に入りました。そこも市内の大会でもなかなか勝てないチームでした。そんな環境だったからかもしれませんが、野球が嫌になるということは全くなくて、特に少年野球の頃は土日にしか練習が無くて、練習が楽しみでしょうがなかったですね」
——小学生時代、野球以外の習い事は何かされてましたか?
澤井「足腰を鍛えたいというのと友達がやっていたこともあって小学校の 5、6 年の 2 年間だけ、小学校のスポーツ教室でサッカーも並行してやっていました。 当時のコーチからは中学校でもサッカー続けろとも言われたんですが、そこは迷いなく野球を選びましたね。野球のために足腰鍛えたかったので。
——勉強の成績はどうでしたか?
澤井「体育以外は本当に普通でしたね。高校受験のために中学の時に学習塾に通い始めて少し良くなったくらいですね」
——そんなに強くないチームから京都成章に進まれたのは何がきっかけだったのですか?またそこで苦労したことはなかったですか?
澤井「中学の先生から練習会があるという話を聞いて、それに参加したのがき っかけです。ちょうどその年が成章が初めて甲子園に出た年ですね。他にもい い選手が来てましたが、自分も結構いいプレーができました。進学校であり、野球も強い。すぐに京都成章に決めました。もちろんちゃんと受験して合格しましたよ。
入部当初は上下関係の厳しさに嫌になったこともありましたね。当時の成章は入学するのにそんなに難しいわけではなかったのですが、『入学してから勉強を鍛える』という方針だったので、野球の練習以外に授業も大変でしたね。学校は自宅から遠くて 朝も早かったですし、辛くて通学している時にこのまま帰りたいなと何度も思いましたね」