ニュース 2017.09.13. 16:58

「文武両道 ー親から見た野球と教育ー」宮台忠さん(前編)

――サッカーから野球に変わったのは、何かきっかけがあったのでしょうか。
宮台 小学校2年生のときだったと思うんですが、神奈川大会に康平を連れていきました。場所は保土ヶ谷球場。でも、康平はドラえもんの本をずっと読んでいて、野球はほとんど見ていなかったんです。正直、「まいったなぁ」と。そのとき、知り合いの先生が、「康平くんだよね? 何年生になったら野球をやるの?」と声をかけてくれて、「4年生になったらやろうと思っています」と答えたんです。初めて聞きました!


――お父さんもびっくりの決意表明だったんですね。
宮台 3年生の終わり頃に、「どうするんだ?」と聞くと、「あの先生と約束したから、野球やるよ」って。こっちは、「マジか!?」という感じでしたね。


――約束を守る子どもだったんですね!
宮台 運を持っているというか、たいしたものだなと思ったのは、4年生で初めて出た試合の第一打席でホームランを打ったことです。


――それはすごいですね。お父さんから見て、センスの良さは感じましたか?
宮台 親バカですけど、柔らかいものはあるなと思いました。ただ、投げるほうではコントロールが悪くて、エースではなかったんです。


――アドバイスは送っていたのでしょうか。
宮台 5年生の後半頃から、マンホールをホームベースに見立てて、キャッチボールをしていました。よく言っていたのは、「両肩と腰の4つのポイントが、目標にしっかりと向けばボールは真っ直ぐいくからな」ということ。だから、小学生のときは一塁牽制の練習をよくやっていました。


――なるほど、左利きの康平くんにとっては正面に投げることになりますね。
宮台 体をひねって体重移動を使う投げ方は、中学に入ってから身に付けてくれればいいと思っていました。今思えば、小学生のときにピッチャーとして投げすぎていなかったことはよかったと思います。
(取材・撮影:大利実)


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