「明豊が甲子園に初出場した2001年、健太は聖光学院(福島)に20-0で勝った試合をスタンドで見ています。その時から本人の中には明豊中、明豊高で野球をするという考えがあったのでしょうね。小学校の時の作文に『僕も明豊で野球をして甲子園に行く』と書いていました。その時の作文も甲子園でベスト8入りした2001年の選手の名前や写真をわざわざ貼り付ける手の込みようでしたから(笑)」
明豊高校に入学した際も、美智雄さんは「明豊なんかに行ってレギュラーになれるんかな」と不安を抱いていたというが、息子は1年夏から背番号6を付けて1番・遊撃手で大活躍している。
「そもそも、親が我が子を評価するってないことじゃないですか。他人が評価することであって、親の私が選手としての健太を評価することなんていっさいなかった。だから『我が子のことはよくわからない』と言うのです。私も監督をやっていますから、他の子どものことはよく見ているし、よそのチームのお子さんもずいぶんと良く見えるものなんですけどね(笑)」
明豊高校に入学した際も、美智雄さんは「明豊なんかに行ってレギュラーになれるんかな」と不安を抱いていたというが、息子は1年夏から背番号6を付けて1番・遊撃手で大活躍している。
「そもそも、親が我が子を評価するってないことじゃないですか。他人が評価することであって、親の私が選手としての健太を評価することなんていっさいなかった。だから『我が子のことはよくわからない』と言うのです。私も監督をやっていますから、他の子どものことはよく見ているし、よそのチームのお子さんもずいぶんと良く見えるものなんですけどね(笑)」
甲子園で大活躍し、プロでは球界屈指の名手として日本一チームの欠かせぬ戦力となった。その姿を親としてどのように見つめているのだろうか?
「入団当初は不安しかなかったです。健太は送球が上手ではなかった。投げる際に顔が傾く癖があったので、それは私も本人も気にはなっていました。その癖を入団時の二軍監督で一軍でも内野守備コーチをされていた鳥越裕介さんに直していただいてからは、安心して見ることができるようになりました」
入団8年目。最近では勝負どころや試合終盤の大事な打席を除いて、以前のようにドキドキしながら見ることがなくなったと美智雄さんは言う。最近はむしろ「健太のところに難しいゴロが飛んでこんかな」と、一般のファンと変わらぬ気持ちで眺めていることの方が多いのだそうだ。
小学生から高校生に至るまで「好きなプロ野球選手」というアンケートに対して、今宮健太の名を挙げる子どもたちは年々多くなっている。第2の今宮健太を目指す子どもたちに、今宮健太本人を育てた美智雄さんはメッセージを残してくれた。
「ノビノビとプレーすること。野球を難しく考えすぎないこと。もちろん練習も大事ですが、野球を観ることも同じぐらい大事。野球選手になりたいという夢があるなら、そこに向かって頑張ってほしいですね」
また、我が子を第2の今宮健太にさせたい、プロ野球選手に育てたいという保護者の方にもアドバイスを預かっているので紹介しておこう。
「子どもさんには可能性があるので、型にはめることなく大きく育ててほしいですね。ただし、無理強いはいけません。子どもがやりたいことをやらせてあげるのが一番です。一番罪なことは野球を嫌いにさせること。その点は注意してほしいと思います」